2012/01/21

セネガル ワッド時代を振り返る Wade à l’heure des comptes


ワッド大統領の成し遂げた事業で20年後に残っているものは?アフリカ・ルネサンスの像だろうと野党は皮肉る。この像は、大事業を成し遂げ歴史に名を残したいというワッドの野望を体現しているものの、セネガル国民のためには何一つ役に立っていない事業だ。北朝鮮によって作られたこの像は、観光客からは無視され、「この国には他にやるべきことが山ほどあるのに」と地元の評判もすこぶる悪い。

それでもワッドは12年の任期の間にセネガルを大きく変えた。2000年から2010年の経済成長率はプラス4%で1990年代よりも高く、インフレは抑えられ、歳入は増えた。小中学校や保健所の数は目覚しく増え、水へのアクセス、乳幼児死亡率は改善した。中東・アジア諸国などドナーの多様化も進んだ。

コルニッシュ通りとそこに並ぶ高級ホテル、ドバイ資本の入ったダカール港、高速道路、新空港の建設…。セネガルを西アフリカ地域のハブに仕立てあげたワッドの功績は、野党も認めざるを得ない。しかしながら、「アスファルトは食べられない」というのもまた事実。失業率は依然として高く、その日暮らしの人は多い。2000年の大統領選で、希望と職を求めていた当時の若者たちはワッドに投票したが、その後状況は改善されなかった。停電の頻発は彼らの怒りを増徴させ、かつてワッドを勝利に導いた「Sopi (変化)」というキャッチフレーズはもはや通用しなくなった。

30年間ワッドに付き添い、大臣を歴任したが今は反対派に回っているAminata Tall女史は「以前は対話を好み、支持者に耳を傾け、正義心の強い人物だったが、今では、人々の声を聞くどころか、操ることしか考えていない」とワッドを評価する。
大統領府では、おべっかや汚職は日常茶飯事となり、側近の一人は、「ワッドは何でも金で買えると思っている。セネガル人は金しか信用しないと思っているんだ」ともらす。ダカールはきらびやかなコルニッシュ通りの億万長者と、洪水にさらされその日暮らしを強いられる貧しい郊外の住民とに二分されてしまった。
息子に大統領の座を禅譲しようとしている動きも非難の的になっている。「ワッドは思い上がっていて、彼の事業を継続しうるのは彼自身か、でなければ息子しかいないと思っているのだ」と支持者の一人はため息を付く。

ある政治学者は、「ワッドはセンゴール(初代大統領)にコンプレックスを抱いている。彼のただひとつの目的は歴史に名を残すことだ」と分析し、「ワッドは自分自身がニエレレやマンデラなどアフリカの偉大な国家元首と同じ類だと思い込んでいる」と米国外交官は記している。昨年6月の憲法改正案に見られるように、なんとしてでも権力を手放したくないという姿勢はますます明らかになってきている。

ワッドへの批判は彼を止めるどころか、かえって勢いづけているようにも見える。もうすぐ86歳とは思えないエネルギーの「闘士」は、違憲と判断されても大統領選に出馬するのだろうか?「セネガルは決して内戦には陥らない」だろうと人々はいうが、そのリスクは否定はできない。Tall女史と同じくワッド政権下で大臣を務めたが今は反対派に回っているCheikh Tidiane Gadio氏は、「彼の立候補は国にとって危険。(立候補の是非を判断する)憲法院の判断がどちらに転んでも国が荒れる恐れがある」と警戒する。

ワッドが任期中に12年間積み上げてきた実績も数日で吹き飛んでしまう恐れがある。それもこれも1月末の憲法院の判断、そして2月26日の選挙の透明性にかかっている。

*この記事は以下の『Jeune Afrique』誌の記事を日本語で要約したものです。
CARAYOL Rémi. Sénégal : Wade à l’heure des comptes. Jeune Afrique du 15 au 21 janvier 2012. p24-27.

コートジボアール:ワタラ体制の内側 Côte d’Ivoire : Le Système ADO


アビジャンの大統領府では、その主だけでなく仕事のスタイルも変わった。もはや気まぐれで物事が決まることはない。几帳面なワタラ大統領は信頼の置ける部下に囲まれている。

バグボ時代とは打って変わり、ごった返していた大人数のスタッフは少数精鋭に取って代わられ、来客はアポがないと待合室に入れないようになった。全てが秩序正しくなったと言える。しかし「(政府が)完全に機能するようになるまでまだ5ヶ月くらいかかるだろう。それくらいこの国はめちゃめちゃで汚職まみれだった」とワタラ大統領は見ている。

ワタラ大統領のトゥレ官房長官(Sidi Toure)は、「大統領は部下に仕事を任せるのを好み、多くを求める。だが、絶対的に信頼できる部下でないとならない」と分析する。ワタラは非常な慎重さで部下を選び、ソロ首相(Guillaume Soro)をはじめ、バカヨコ内務大臣(Hamed Bakayoko)内務大臣、コフィ財務大臣(Charles Dibi Koffi)、アウス法務大臣(Jeannot Ahoussou)、デュンカン外務大臣(Daniel Kablan Duncan)、アチ・インフラ大臣(Patrick Achi)といった閣僚と密に連絡を取り合っている。

中でも重要な役割を占めるのが、通称「トロイカ」のメンバーだ。
まず、クリバリ書記長(Amadou Gon Coulibaly)、53歳。ウフエボワニ政権下でワタラが首相になる前の1990年から彼をサポートしてきた。大統領の腕・目・耳として、内閣と地方政治、大統領府直轄機関、まだ法務を担当している。
次に、タノ官房長(Marcel Amon Tanoh)、60歳。防衛、治安、外務、人権と官房組織(バグボ時代は300人近くいたというが、現在は20人程度)の管理を担当。
最後に、大統領の実弟ワタラ氏(Tene Birahima Ouattara )、56歳。ワタラ大統領の「コピー」と呼ばれ、大統領府における財政・人事改革を実行して、ヤムスクロとアビジャン合わせて900人のスタッフを解雇し、月間5億FCFAの節減を実現した。

ワタラ大統領は朝9時半に勤務を開始し、毎朝必ず憲兵・警察長官と治安情報のアップデートを行った後、トゥレ官房長官及び広報担当者と打ち合わせ。10時半にはトロイカのメンバーと打ち合わせを行い、11時半には記者会見をおこなう。昼食はだいたいの場合、会議を伴う。月曜はトロイカのメンバーと、火曜日はソロ首相と、木曜日は海外からの来賓といった具合だ。金曜日はRiviera地区の自宅で執務するようにしている。大統領官邸Cocody地区にあるが、政敵であるバグボ前大統領が住んでいたこの場所に移ることを拒否しているのだという。
いずれはヤムスクロに業務を移行する予定だが、あと2、3年は時間がかかるだろうと大統領は見ている。

*この記事は以下の『Jeune Afrique』誌の記事を日本語で要約したものです。
Marwane Ben Yahmed. Côte d’Ivoire : Le système ADO. Jeune Afrique 2661 (du 8 au 14 janvier 2012). p28-30.

2012/01/10

ギニア 危険をはらむ軍隊改革 L’armée de tous les dangers

2011年7月19日のコンデ大統領の私邸襲撃事件以来、軍隊の改革はかつてないほどの重要性を帯びてきている。

襲撃事件がおきたのは、コンデ大統領が軍事改革のため委員会を設置してから1ヶ月後だった。事件は軍隊の改革を望まない者たちによる仕業だと考えられるが、彼らを恐れて改革を先延ばししては、国民と投資家の不安はぬぐえない。そんな非常にデリケートな状態の中で、改革は続いている。しかもギニアの軍隊は汚職の温床で、統率もまともに取れていない、問題だらけの軍隊なのだ。

ささやかな成果としては、すでに重火器類がコナクリから135キロ離れた内陸のKindiaに押しやられている。しかし武器の管理はずさんで、襲撃事件で使われた武器は横領されたものだと言われている。政府・役所の文民化も課題だ。ギニアでは四半世紀以上にわたって軍人が政府の重要ポストを占めてきた。文民化は確かに進んでいるが、今でも3人の将軍が内閣のポストについている。また、監査によって、軍隊による水増し請求などの汚職の事実が明るみに出ているが、まだ当事者が罰せられるにはいたっていない。

よって現状では、これらの改革は大河の一滴に過ぎず、抜本的な改革には程遠い。
目下の課題は、軍隊のメンバーの実数を把握することだ。「ギニアには1.2万人以上の軍人は必要ない」とECOWASの専門家は言うが、ギニアには3.5万人とも4.5万人とも言われる軍人がおり、その正確な数を誰も知らない。調査をするのも簡単ではない。ダディス・カマラがそうであったように、軍人たちに与えられる給与、食糧、ガソリンを横領し甘い汁を吸ってきた輩が必ずや妨害に出るというのだ。

コンデ大統領は、公務員の人事改革を利用して、軍隊から4200人を退職させ、4000人を水・森林管理、7000人を消防士・看視に転職させる方針を打ち出している。

改革にかかる費用(3000万ユーロ)の財源も大きな問題だ。軍事協力で実績のあるフランスと、コンデ大統領が最近訪問したアメリカが協力を約束しているが、金がすべてを解決するわけではない。改革はコンデ大統領の「勇気」にかかっていると言えるだろう。彼は「軍隊との対立は望まない」というが、大統領邸襲撃事件は、まさに軍隊の一部からの宣戦布告であり、大統領にとって反撃の口実を与える絶好のチャンスなのだ。

*この記事は以下のJeune Afrique誌記事を日本語で要約したものです。
Source : KONAN, André Silver. « Guinée : L’armée de tous les dangers ». Jeune Afrique 2640-2641 (du 14 au 27 août  2011). p40-42.


2012/01/01

ギニア コンデ大統領インタビュー 2011年5月

「過去50年間民主主義のために戦ってきた私に、誰が指図できるだろうか」

アルファ・コンデ(73)は半世紀にわたって野党で戦ってきた後に大統領の座を手に入れた。朝6時に起きて、真夜中に就寝する彼は食事もそこそこに、いつも3台の携帯電話を持ち歩いて、一見細かすぎとも思える業務もこなしている。
アジア米の輸入がその例で、次にコナクリに着くコンテナの値段を彼自身が交渉している:「アジア米は大歓迎だがビルマ米だけはノーだ。あの国の軍人は良くない」。それだけでなく、水と電気の配分、公用車の銘柄、宗教指導者からギニア・フランの両替商、そして特に大臣一人一人の仕事を入念にチェックしている。「先生」「アルファ兄さん」と呼ばれる彼は、圧倒的な情報網と聞く力を持っている。長年の戦い―かつては死刑判決を受け刑務所生活を送った―で傷ついた体を労わる間もなく、すべての問題に関する決定権を自らに集中させている。
2010年11月に52.5%の得票で当選してからまだ5ヶ月。「確かに私はすべての問題の前線に立っているが、すべてを一から再建する必要があるのだ」とコンデ大統領はコメントする。
ギニアの発展は50年前からほんの少ししか進んでいない。民族対立と暴力と汚職にまみれてきたこの国では民主主義、人権、グッド・ガバナンスといった考え方はまだ新しい。そんな中でアルファ・コンデは孤高に、堂々と戦いを挑んでいる。

JA:ギニアが今のような状況になると想像していましたか。
コンデ:少しは覚悟していたが、正直ここまで被害がひどいとは。2009年から2010年の間に締結された契約金額は全て水増し、ひどいものは2倍水増しされていた。ギニア中央銀行は当時の政権に多額の前貸しをしたために破綻寸前だった。出回った偽札を探知する手段もない。被害は甚大だ。

過去5ヶ月間、どのような改善策をとりましたか。
第一に、国家の出納管理を財務大臣のもとに統一した。以前は、港、鉱業、道路など独立した機関が出納管理を行っていて汚職の温床となっていた。
第二に、中央銀行は収入なしに国庫に前貸しをしないようにした。第三に、過去との決別。財務赤字を劇的に減らし、ギニアにとって非常に不利な鉱業法を改正し、闇両替商の撤廃すること。実現しますよ。ここでは大転換がた当たり前ですから。

どうやってValeやRio Tintoなど、大きな鉱業契約変更の交渉に成功できたのですか。
簡単だ。Rio Tintoは2010年、ギニア政府に何の通告もなしに47%の株式を中国アルミ(Chinalco)に売却した。これは鉱業法に反する。そしてコンセッション期限も2010年2月に切れていた。だから我々はRio Tintoに対し、700百万ドルの損害賠償と、株式15%の無条件譲与と20%の購入(計35%)を求めたまでだ。このようなケースはおそらくアフリカで初めてだろう。今までは、鉱業会社も袖の下さえ渡せば思い通りに交渉を誘導でき、そういうやり方に慣れていた。しかし今後はそうはいかない。今進んでいる鉱業法の改正が7月頃までに済んだ暁には、Rusalや他の会社とも交渉を行うつもりだ。鉱業法には汚職に関する条項も盛り込む。汚職をした会社には、多額の罰金が科せられ、ひどい場合には契約取り消しとなる、と。

中国はアンゴラとコンゴ民主に対して超低金利の大量融資をしてマイニング・コンセッションを得ています。こういう近道には興味がないのですか。
全くないね。

あなたは過去の政権の監査を行って、公共財産を横領した者を訴えると公約しました。どこまで進んでいますか。
決して魔女狩りではないが、事実を徹底的に明らかにしたい。容疑者は司法の裁きを受けるだろう。監査は我々が権力の座に着く前に行われ、一部は現在進行中だ。残りは全て取り返すことに決めた。国の所有する土地、不動産を横領した過去の大臣たちはもちろん、開発援助を掠め取った商人たちもね。彼らは法の元に裁かれ、賠償することになる。

あなたが商人たちを非難するとき、プル族のコミュニティ*は、あなたがプル族を差別しているという印象を受けています。
それは間違いだ。私が非難しているのは、米や小麦などの輸入を独占している一部の商人だけだ。プル族を一概にまとめて非難しているわけでは決してない。独占状態は解消されなくてはならない。私はプル族やレバノン人の商人、農民、職人にはっきり伝えた。新しいギニアにおいて、特権というのものは存在しない、皆が法の下に平等である、と。
(*訳注:商人の多くはプル族出身)

国に債務を負っている人々の債務額ワースト40人のリストを公開しました。これは訴追につながるものですか。
ノーだ。このリストを公開する前に、対象となりうる多額債務者には1ヶ月の猶予を与えて債務返済計画を出させた。これらの者はリストに含まれていない。リストに載っているのは、この国を横領した輩だ。自分の意思でね。

そのリストのトップに立っているのは実業家のママドゥ・シラで、2010年の大統領選であなたを支持した一人です。彼は驚いたのでは…
このリストは私が個人的に作成したものではなく、監査を担当した大臣だ。私は単に、リストに誰の名前が載っていようと、ありのままに公表しなさいという指示を出しただけだ。私は選挙期間中、必要な監査はすべてやると公約した。国民の利益を考えれば、私を支持者だからという理由で擁護することはできない。

あなたを大統領の座に導いた「虹の連合」はうまくいっていないように見えます。ママドゥ・シラや、ランサナ・クヤテ、カソリ・フォファナは十分に見返りを得ていない。そのことに問題を感じていますか。
私には関係のないことだ。私はただ選出された大統領として政策を進めている。縁故主義や民族主義は私のやり方ではない。私のやり方に賛成するものは私についてきてくれている。私は政治家に対してではなく、国民に対して責任を果たしている。

しかしながら、あなたは2010年の大統領選でその民族主義を利用したと非難されています。「とにかくプル族以外の候補を大統領に」と…。
よく聞きなさい。私は長年「在仏ブラックアフリカ学生連合」の書記長を務めてきた。アフリカの統合のために戦ってきたのだ。誰が民族主義的な選挙活動を行った?「次こそ我々プル族が国を治める番だ」と訴えたのは(対立候補の)セル・ダレン・ジアロの方だ。多くのプル族の指導者たちが私を支持してくれている。私と同じマリンケ族のセク・トゥレ(初代大統領)に対しても、スースー族であるランサナ・コンテ(前大統領)に対しても私は戦ってきた。私の戦いは特定の民族に対するものではなく、この国のグッド・ガバナンスのための戦いだったのだ。

セル・ダレン・ジアロ氏は選挙結果を受け入れたものの、選挙は公平ではなかったと主張し、あなたとは決して協力しないと述べています。そのことに関して問題を感じていますか。
ノーだ。なぜなら問題は彼ではなく、水、電気、貧困、食糧自給率など、重要な問題ばかりだからだ。彼がダカールから何をどう言おうと私には関係ない。

彼が4月3日コナクリに一時帰国した際、彼の支持者と治安部隊の間で、衝突がありました。
彼らは当初申請していたルートを勝手に変えてデモを行った。ギニアは法治国家になったのだから、それに従わなくてはならない。投石行為、破壊行為、無政府状態はいい加減もう終わりだ!

5月11日、ジアロ氏の自宅が彼の不在中に、大統領官邸の警護団によって家宅捜索されました。なぜですか。
ご存知のとおり、一部のギニア人はよく嘘をつく。家宅捜索などなかった。あったのは、ジアロ氏の警護団の内部のいざこざだ。メディアでささやかれているのはすべて噂話だ。

それでもあなたは、噂が広まったときに反応されることがありますよね、例えば最近の南ア訪問は手術を受けるためだった、とか…
たまにね。そういう噂は呪術師にお金を積んで私を呪おうとしている人たちにとっては喜ばしいんだろうね。でも南アはズマ大統領の招きに応じて訪問しただけで、そこから一週間でトルコ、ドバイ、アブダビを訪問した。投資先としてのギニアをアピールするために。私は帰国後すぐに記者会見をしたが、病人にしてはぴんぴんしていなかったかね?

総選挙はいつ行われるのですか?あまり急いでいるようには見えませんが。2010年1月のワガドゥグ合意では大統領選実施後、6ヶ月以内に行うことになっていました。もうその期限が切れていますが、どうして遅れているのでしょうか。
2011年の11月頃に実施する予定だ。しかし、できるだけ皆が納得する選挙にしなくてはならない。そのためには選挙人口の国勢調査を行い、農民(徴税を免れたいために選挙登録に否定的)が選挙登録できるようにしなくてはならない。時間をかけて、すべてのギニア国民が参加でき、不正を最小限に抑えられる選挙を目指そうではないか。登録の重複を防ぐために、選挙証と国民IDも発行する。これだけは明らかだ:私は50年間、この国の民主主義のために戦ってきた。それをないがしろにしていた輩に私に指図する資格はない。私は強大な資金源を持つ陣営を打ち負かして大統領に当選した。民主主義は屈しないということを私は体現しているのだ。

あなたは大統領でありながら防衛大臣もつとめています。この国の軍隊には四半世紀にわたって悪い習慣が根付いてしまっていますが、どう対処していますか。
私はギニア国軍を誇りに思っている。彼らがもはや街で横を働くようなことはなくなったし、重火器は内陸部に追いやった。一部の将校には開発分野で活躍してもらうプログラムが進行中だ。今日のギニア軍の問題は、もはや彼らの行動ではなく、組織にある。一般兵より下士官が多いのは問題だ。中には1950年代から軍隊にいる人もいる。退職を推奨する手段を講じなくては。国民は軍隊を恐れている。急には無理でも、軍隊は民主主義こそ最良のものだということを自覚し、尊敬され、愛される存在にならなくてはならない。

前任者であるセクバ・コナテ将軍とはどういう関係にあるのですか。
彼と争うことは何もない。彼がギニアを選挙に導いたことは常に感謝している。確かに政権運営に関しては、至らないところがあったかもしれないが、彼は首相ではない。それに彼はいつも「自分は経済のことには疎い。書類にサインはするが、あとは私の後任に説明してほしい」と言っていた。だから私は鉱業のことも汚職のことも、彼に責任があると非難するつもりはない。非難されるべきは、彼を利用した輩だ。

あなたはダディス・カマラ大尉と何回か面会しています。最近だと4月7日にワガドゥグで会っています。彼は帰国を望んでいますが、あなたはそれを嫌がっています。なぜですか。
彼はそんな要望はしていないし、私には何も問題ない。ごく少数の人間がダディスの帰還を望んでいるが、それに対して彼自身がなんと言ったと思う?「彼らを逮捕するべきだ、彼らは私の意に反して私を担ぎ上げてるだけだ」

ダディス・カマラは2009年9月28日の大虐殺の責任者として、国際刑事裁判所に訴えられる可能性がありますが、あなたにとっては悩みの種ですね。
この問題に関して知りたい人は、柔軟にならなくてはならない。ギニアは27年間の軍事政権から抜け出したばかりのもろい国だ。うかつな発言は禁物だ。以前から公約してあるとおり、時期がくれば「真実と和解委員会」を組織する予定だ。でもその前に、国民すべてが聞く耳をもち、他者を許す用意がなくてはならない。そのために宗教界が県レベルで啓蒙活動を行っている。9月28日の事件だけではない。セク・トゥレ(初代大統領による迫害)や他の事件にも対処していかなくてはならない。和解がなされなければ、この国は憎しみで分断されてしまうだろう。

ギニア・フランが下落しています。コンパオレ(ブルキナ大統領)やトゥレ(マリ大統領)はギニアがCFAフラン圏に入ることを勧めています。
それは非常にデリケートな問題だ。目下の課題は経済を立て直して、ギニア・フランの価値を取り戻すことだ。

CFAフラン圏に入る可能性も排除はしないということですね。
私は緊急の課題から着手するのであって、それが解決されてから他の課題のことを考えることにしている。

ギニア・フランはギニアの家宝のようなものですが、今ではその輝きを失いつつありますね。
通貨は全ての国民に関わる問題だ。国内で議論を尽くし、国民によって決断されなければならないだろう。

コナクリ港・コンテナターミナルのコンセッションがBolloréに与えられた件が議論を呼んでいます。同社に実質上の独占を許したという批判がありますが。
それは間違いだ。コナクリ港がBolloréと結んだのは港の運営に関する技術協力協定だが、運輸省には連絡がなかった。それが発覚した後、協定は直ちにキャンセルされた。Bolloréが関与しているのはコンテナと鉄道と一部のオペレーションだけだ。

ギニアが貧困から脱し、食糧自給に達するために5年間の期限を定めました。少々野望的では?
この国の最も優れた開発計画は1955年にすでに存在していた。当時のフランス人総督ロラン・プレによる、ギニアを穀物庫にする計画だ。その後は見捨てられてしまったが、実現可能な計画だ。国が農民を支援することによって食糧自給を実現し、その後は輸出に回す。農民を指導してくれるのなら、外国資本は大歓迎だ。ただ我々はマダガスカルのように国土を売ることはしないので注意してもらいたい。

どのようにしてギニアを無政府状態から復帰させるのですか。
確かに困難はあるが、ギニアは国家として日々生まれ変わっている。コナクリ空港を例にとればいい。以前は麻薬などの取引と恐喝が日常茶飯事だったが、いまでは秩序が保たれている。麻薬取引の組織犯罪もそうだ。以前はギニア・ビサウからヘリコプターで麻薬が持ち込まれていたが、米仏の協力のおかげで大統領府直轄の麻薬取締り部隊が機能している。また、国際機関に対する未払い金や国外のギニア大使館にも支払いを始めている。在外ギニア大使館が料金滞納のせいで電気・水道を止められては、面子丸つぶれだからね。

あなたは全ての問題を自分自身で解決しようとしています。そんな状態ではすぐに疲れきってしまうのでは?
今のところ他に選択肢がない。もちろん首相と内閣はいて仕事をしてくれているが、悪い習慣が残っているので、結局私が全てチェックしなくてはならない。私はひとつの汚職も許しはしないからね。確かに疲れるが、私以外の誰がこの習慣撲滅の戦いを指導できる?私が管理しているのは、特別なギニア人ではなく、普通のギニア人なのだから。

あなたはコートジボアールとリビアの混乱について「武力行使をせず、アフリカ人による解決に賛成だ」と言いましたね。
リビアについては、国民の議論を経た休戦を、というAUと同じ立場だ。コートジボアールでは、選挙で選ばれたワタラ大統領の就任が、アフリカ人の手だけによってもたらされたものであれば良かったのに。リビアにせよ、コートジボアールにせよ、アフリカ人たちが自分自身で問題を解決できない現状は憂慮に値する。

ロラン・バグボ(前コートジボアール大統領)が逮捕された映像はショッキングでしたか?
それについてはノーコメントだ。

あなたはよく「ギニアは帰ってきた」という表現を使いますね。コートジボアールもそうですが。
私は他者とは比較しないことにしている。明らかなのは、1950年、ギニアも他の国もまだフランスの植民地だった時点では、ギニアは一番将来有望な国だったということだ。これまではその有望な資源を活用するすべを知らなかったが、資源は今もここにある。

皆が知っているように、あなたは金儲けには興味がない人です。しかしながら、あなたの一族が不当に利益を得ないようどのような方策を講じているのですか。
家族の存在はリスクであり、他の多くの国家元首にとってもアキレス腱(弱点)であるということは十分承知している。ギニア国民は全員知っている通り、妻と私は、違う家に住んでいる。彼女はカンカンのマリンケ族の豪商の出身で、当然多くの人が彼女の家を出入りしている。私はプル族の商人がマリンケ族の商人に取って代わられたと言われるのは嫌だ。はっきり言えば、私の家ではアポイントのない訪問者は受け付けないし、その中にビジネスマンは含まれていない。

誘惑と影響を防ぐためにはそれで十分なのですか。
もっとはっきり言ったほうがいいかね?妻には政治もビジネスもやるなと禁止してある。もし仮に彼女が特権のようなものを求めてくれば、その場で離婚する。それを彼女自身も、他の者たちもはっきりわかっているはずだ。

それでも、噂ではあなたの息子モハメドはいくつかの経済プロジェクトに関わっているとか…
それは間違いだ。息子はビジネスマンでもなければ企業家でもない。彼はアメリカで教育を受け、ブラジルとロンドンで働いていた。私の弟(兄)の死後にギニアに帰国して手伝ってくれている。私は英語が苦手だから、英語堪能な息子に通訳として、また、我が友・南アのズマ大統領による国際協力関連の仕事を手伝ってもらっている。うちの一族にはビジネスマンはいないし、誰にも私の代理としての権限を与えていない。私腹を肥やすだけの政治はもう終わりだ。私は自ら投資家たちと交渉するが、彼らも私が汚職には屈しないということをわかっている。

5年後にはギニアはどのような国になっていますか。
独立に成功していたらなっていたはずの姿になるだろう。鉄道、道路、ダム、低所得者向け住宅…。汚職ではなく働くことによって利益が得られる新しいギニア人による新しいギニアに。虚言、嫉妬、コンプレックスから解放された誇り高きギニアに。神の助けと世代交代、在外ギニア人の帰国によって少しずつ着実に実現されるだろう。

夢のような話では?
夢見る者が世界を前進させるのだ。

最近読んだ本は?
おとといアブダビからの帰りに飛行機の中で読んだ本があるが、名前は伏せておく。

どうしてですか?
少しくらい秘密があったってよかろう。

オフレコでも?
ジャーナリストの言うオフレコなんてあてにならないと、とっくの昔から知れているじゃないか。

*この記事は以下のJeune Afrique誌の記事を日本語で要約したものです。
Source: SOUDAN, François. Grand angle : Alpha Condé « Pendant cinquante ans, je me suis battu pour la démocratie. Qui oserait me donner des leçons? » Jeune Afrique 2628 (du 22 au 28 mai 2011). p22-29.

2011/12/26

セネガル 物乞い禁止令


2010年9月はじめのある夜、治安のよいダカールにしては珍しく、パトカーをみかけた。「あれは物乞いに立ち退きを命じているんだよ」と一緒にいた同僚が説明する。立ち退きに応じない場合は警察署に連行されるという。セネガル政府は数日前に、物乞いを厳しく取り締まると発表したばかりだった。
物乞いが犯罪扱いされる…貧しい人はどうなるの?禁止したところで何も根本的な問題の解決にはならないのでは?違和感を覚えた私は、同僚や友人たちに意見を聞いてみた。

物乞いを選ぶ人、選らばざるを得ない人
意外にも、物乞いの禁止は当然という意見が多い。「あの人たちは必ずしも貧しいわけではなくて、普通に働くよりも楽に稼げるから物乞いをしているのよ。そのお金で家を建てる人もいるんだから」と友人の一人が答える。別の同僚は「セネガル国内だけでなく隣国のマリやギニアビサウから物乞いをするためにわざわざダカールまでやってくる人もいる」という。
自ら選んで物乞いをする人がいる一方、物乞いが生活の糧を得る唯一の手段という人たちは、禁止令に反対している。ある障がい者団体は「政府は物乞いを禁止する前に、職業訓練などの支援をするべきだ。そうした対策があれば、これほどの障がい者が物乞いをする必要はないのに」と怒りをあらわにする[1]。

搾取の犠牲になる子供たち
実は、物乞いを禁止する法律は以前から存在する[2]。今回それを実際に厳しく適用し始めたということなのだが、その理由を政府は「子供の物乞いをなくし、その背景にある大人による子供の搾取、人身取引をなくすため」だと説明する。首都ダカールだけで約8千人の子供たちが物乞いをしているといわれ、その9割がタリベ(コーラン学校の生徒)だという。修行僧の托鉢のように、タリベたちは人々に施しを求めてまわるが、一日中物乞いをさせられ「稼ぎ」が少ないと体罰を与えられるという、搾取の対象となってきた[3]。

与える側の事情
一方で、一部の人たちは「良い行い」のために物乞いの存在を必要としている。セネガル人口の9割以上を占めるイスラム教徒の間では「喜捨」といって、恵まれない人々に施しを与えることが推奨されている。この国では、伝統的な習慣[4]も加わって施しを与えるのごく日常的になっている。
ある男性は新聞のインタビューで、「おとといは施しをするのにずいぶん苦労したよ。長いこと物乞いを探し回って、やっと良い行いができた」と答え、別の女性は「物乞いたちに場所を指定したほうがいいと思う。そうしたら施しをする必要があるときにすぐに彼らを見つけられるでしょう。街中をうろうろされるのは、きれいじゃないけどね」と答えている。

根の深い問題
波紋を呼んだ物乞い禁止令は、結局ワッド大統領によって撤回された[5]。あれから2ヶ月、一時期見かけなかった物乞いも小さなタリベも元通り街に戻ってきた。
自ら物乞いを選ぶ人、選ばざるを得ない人。物乞いを通して搾取する人、される人。与えるために物乞いを必要とする人。街で彼らに出会うたび、貧しさの一言では片付けられない、問題の根の深さを見る思いがする。



[1] Sénégal: Les mendiants défient l'interdiction de manche
http://www.afriquejet.com/afrique-de-l'ouest/senegal/senegal:-les-mendiants-defient-l'interdiction-de-manche-2010082755153.html
[2] 法律では、モスクなどの「宗教施設」を除く、公道での物乞いが禁止されている。2005年には「利益を搾取する目的で他者に物乞いをさせる」ことを禁ずる法律が制定された(違反の場合、懲役2~5年+罰金)。
[3] 今回の物乞い禁止令は人権保護団体からは評価されている。UNICEF、Human Rigtht Watchなどの報告によると、これらの子供たちはマラブー(コーラン学校の指導者)に強制させられて物乞いをしており、半数が10歳未満、9割以上がダカール外のほかの地域や隣国からつれてこられた子供たちだという。今回の取締りによってマラブーが逮捕され、子供たちが保護されたというニュースもある。
[4] たとえば、願い・おまじないをかなえるためにモノやお金を与えるなど。この辺の文化的事情は、セネガルの女流作家Aminata Sow Fallの小説『La grève des bàttus』(物乞いたちのストライキ)に詳しい。
[5]ワッド大統領は「喜捨(施し)は宗教によって推奨されている」と発言している。マラブーたちも彼の重要な支持層であり、物乞いや与える側よりも搾取している側を擁護しているように見える。