2012/01/10

ギニア 危険をはらむ軍隊改革 L’armée de tous les dangers

2011年7月19日のコンデ大統領の私邸襲撃事件以来、軍隊の改革はかつてないほどの重要性を帯びてきている。

襲撃事件がおきたのは、コンデ大統領が軍事改革のため委員会を設置してから1ヶ月後だった。事件は軍隊の改革を望まない者たちによる仕業だと考えられるが、彼らを恐れて改革を先延ばししては、国民と投資家の不安はぬぐえない。そんな非常にデリケートな状態の中で、改革は続いている。しかもギニアの軍隊は汚職の温床で、統率もまともに取れていない、問題だらけの軍隊なのだ。

ささやかな成果としては、すでに重火器類がコナクリから135キロ離れた内陸のKindiaに押しやられている。しかし武器の管理はずさんで、襲撃事件で使われた武器は横領されたものだと言われている。政府・役所の文民化も課題だ。ギニアでは四半世紀以上にわたって軍人が政府の重要ポストを占めてきた。文民化は確かに進んでいるが、今でも3人の将軍が内閣のポストについている。また、監査によって、軍隊による水増し請求などの汚職の事実が明るみに出ているが、まだ当事者が罰せられるにはいたっていない。

よって現状では、これらの改革は大河の一滴に過ぎず、抜本的な改革には程遠い。
目下の課題は、軍隊のメンバーの実数を把握することだ。「ギニアには1.2万人以上の軍人は必要ない」とECOWASの専門家は言うが、ギニアには3.5万人とも4.5万人とも言われる軍人がおり、その正確な数を誰も知らない。調査をするのも簡単ではない。ダディス・カマラがそうであったように、軍人たちに与えられる給与、食糧、ガソリンを横領し甘い汁を吸ってきた輩が必ずや妨害に出るというのだ。

コンデ大統領は、公務員の人事改革を利用して、軍隊から4200人を退職させ、4000人を水・森林管理、7000人を消防士・看視に転職させる方針を打ち出している。

改革にかかる費用(3000万ユーロ)の財源も大きな問題だ。軍事協力で実績のあるフランスと、コンデ大統領が最近訪問したアメリカが協力を約束しているが、金がすべてを解決するわけではない。改革はコンデ大統領の「勇気」にかかっていると言えるだろう。彼は「軍隊との対立は望まない」というが、大統領邸襲撃事件は、まさに軍隊の一部からの宣戦布告であり、大統領にとって反撃の口実を与える絶好のチャンスなのだ。

*この記事は以下のJeune Afrique誌記事を日本語で要約したものです。
Source : KONAN, André Silver. « Guinée : L’armée de tous les dangers ». Jeune Afrique 2640-2641 (du 14 au 27 août  2011). p40-42.


2012/01/01

ギニア コンデ大統領インタビュー 2011年5月

「過去50年間民主主義のために戦ってきた私に、誰が指図できるだろうか」

アルファ・コンデ(73)は半世紀にわたって野党で戦ってきた後に大統領の座を手に入れた。朝6時に起きて、真夜中に就寝する彼は食事もそこそこに、いつも3台の携帯電話を持ち歩いて、一見細かすぎとも思える業務もこなしている。
アジア米の輸入がその例で、次にコナクリに着くコンテナの値段を彼自身が交渉している:「アジア米は大歓迎だがビルマ米だけはノーだ。あの国の軍人は良くない」。それだけでなく、水と電気の配分、公用車の銘柄、宗教指導者からギニア・フランの両替商、そして特に大臣一人一人の仕事を入念にチェックしている。「先生」「アルファ兄さん」と呼ばれる彼は、圧倒的な情報網と聞く力を持っている。長年の戦い―かつては死刑判決を受け刑務所生活を送った―で傷ついた体を労わる間もなく、すべての問題に関する決定権を自らに集中させている。
2010年11月に52.5%の得票で当選してからまだ5ヶ月。「確かに私はすべての問題の前線に立っているが、すべてを一から再建する必要があるのだ」とコンデ大統領はコメントする。
ギニアの発展は50年前からほんの少ししか進んでいない。民族対立と暴力と汚職にまみれてきたこの国では民主主義、人権、グッド・ガバナンスといった考え方はまだ新しい。そんな中でアルファ・コンデは孤高に、堂々と戦いを挑んでいる。

JA:ギニアが今のような状況になると想像していましたか。
コンデ:少しは覚悟していたが、正直ここまで被害がひどいとは。2009年から2010年の間に締結された契約金額は全て水増し、ひどいものは2倍水増しされていた。ギニア中央銀行は当時の政権に多額の前貸しをしたために破綻寸前だった。出回った偽札を探知する手段もない。被害は甚大だ。

過去5ヶ月間、どのような改善策をとりましたか。
第一に、国家の出納管理を財務大臣のもとに統一した。以前は、港、鉱業、道路など独立した機関が出納管理を行っていて汚職の温床となっていた。
第二に、中央銀行は収入なしに国庫に前貸しをしないようにした。第三に、過去との決別。財務赤字を劇的に減らし、ギニアにとって非常に不利な鉱業法を改正し、闇両替商の撤廃すること。実現しますよ。ここでは大転換がた当たり前ですから。

どうやってValeやRio Tintoなど、大きな鉱業契約変更の交渉に成功できたのですか。
簡単だ。Rio Tintoは2010年、ギニア政府に何の通告もなしに47%の株式を中国アルミ(Chinalco)に売却した。これは鉱業法に反する。そしてコンセッション期限も2010年2月に切れていた。だから我々はRio Tintoに対し、700百万ドルの損害賠償と、株式15%の無条件譲与と20%の購入(計35%)を求めたまでだ。このようなケースはおそらくアフリカで初めてだろう。今までは、鉱業会社も袖の下さえ渡せば思い通りに交渉を誘導でき、そういうやり方に慣れていた。しかし今後はそうはいかない。今進んでいる鉱業法の改正が7月頃までに済んだ暁には、Rusalや他の会社とも交渉を行うつもりだ。鉱業法には汚職に関する条項も盛り込む。汚職をした会社には、多額の罰金が科せられ、ひどい場合には契約取り消しとなる、と。

中国はアンゴラとコンゴ民主に対して超低金利の大量融資をしてマイニング・コンセッションを得ています。こういう近道には興味がないのですか。
全くないね。

あなたは過去の政権の監査を行って、公共財産を横領した者を訴えると公約しました。どこまで進んでいますか。
決して魔女狩りではないが、事実を徹底的に明らかにしたい。容疑者は司法の裁きを受けるだろう。監査は我々が権力の座に着く前に行われ、一部は現在進行中だ。残りは全て取り返すことに決めた。国の所有する土地、不動産を横領した過去の大臣たちはもちろん、開発援助を掠め取った商人たちもね。彼らは法の元に裁かれ、賠償することになる。

あなたが商人たちを非難するとき、プル族のコミュニティ*は、あなたがプル族を差別しているという印象を受けています。
それは間違いだ。私が非難しているのは、米や小麦などの輸入を独占している一部の商人だけだ。プル族を一概にまとめて非難しているわけでは決してない。独占状態は解消されなくてはならない。私はプル族やレバノン人の商人、農民、職人にはっきり伝えた。新しいギニアにおいて、特権というのものは存在しない、皆が法の下に平等である、と。
(*訳注:商人の多くはプル族出身)

国に債務を負っている人々の債務額ワースト40人のリストを公開しました。これは訴追につながるものですか。
ノーだ。このリストを公開する前に、対象となりうる多額債務者には1ヶ月の猶予を与えて債務返済計画を出させた。これらの者はリストに含まれていない。リストに載っているのは、この国を横領した輩だ。自分の意思でね。

そのリストのトップに立っているのは実業家のママドゥ・シラで、2010年の大統領選であなたを支持した一人です。彼は驚いたのでは…
このリストは私が個人的に作成したものではなく、監査を担当した大臣だ。私は単に、リストに誰の名前が載っていようと、ありのままに公表しなさいという指示を出しただけだ。私は選挙期間中、必要な監査はすべてやると公約した。国民の利益を考えれば、私を支持者だからという理由で擁護することはできない。

あなたを大統領の座に導いた「虹の連合」はうまくいっていないように見えます。ママドゥ・シラや、ランサナ・クヤテ、カソリ・フォファナは十分に見返りを得ていない。そのことに問題を感じていますか。
私には関係のないことだ。私はただ選出された大統領として政策を進めている。縁故主義や民族主義は私のやり方ではない。私のやり方に賛成するものは私についてきてくれている。私は政治家に対してではなく、国民に対して責任を果たしている。

しかしながら、あなたは2010年の大統領選でその民族主義を利用したと非難されています。「とにかくプル族以外の候補を大統領に」と…。
よく聞きなさい。私は長年「在仏ブラックアフリカ学生連合」の書記長を務めてきた。アフリカの統合のために戦ってきたのだ。誰が民族主義的な選挙活動を行った?「次こそ我々プル族が国を治める番だ」と訴えたのは(対立候補の)セル・ダレン・ジアロの方だ。多くのプル族の指導者たちが私を支持してくれている。私と同じマリンケ族のセク・トゥレ(初代大統領)に対しても、スースー族であるランサナ・コンテ(前大統領)に対しても私は戦ってきた。私の戦いは特定の民族に対するものではなく、この国のグッド・ガバナンスのための戦いだったのだ。

セル・ダレン・ジアロ氏は選挙結果を受け入れたものの、選挙は公平ではなかったと主張し、あなたとは決して協力しないと述べています。そのことに関して問題を感じていますか。
ノーだ。なぜなら問題は彼ではなく、水、電気、貧困、食糧自給率など、重要な問題ばかりだからだ。彼がダカールから何をどう言おうと私には関係ない。

彼が4月3日コナクリに一時帰国した際、彼の支持者と治安部隊の間で、衝突がありました。
彼らは当初申請していたルートを勝手に変えてデモを行った。ギニアは法治国家になったのだから、それに従わなくてはならない。投石行為、破壊行為、無政府状態はいい加減もう終わりだ!

5月11日、ジアロ氏の自宅が彼の不在中に、大統領官邸の警護団によって家宅捜索されました。なぜですか。
ご存知のとおり、一部のギニア人はよく嘘をつく。家宅捜索などなかった。あったのは、ジアロ氏の警護団の内部のいざこざだ。メディアでささやかれているのはすべて噂話だ。

それでもあなたは、噂が広まったときに反応されることがありますよね、例えば最近の南ア訪問は手術を受けるためだった、とか…
たまにね。そういう噂は呪術師にお金を積んで私を呪おうとしている人たちにとっては喜ばしいんだろうね。でも南アはズマ大統領の招きに応じて訪問しただけで、そこから一週間でトルコ、ドバイ、アブダビを訪問した。投資先としてのギニアをアピールするために。私は帰国後すぐに記者会見をしたが、病人にしてはぴんぴんしていなかったかね?

総選挙はいつ行われるのですか?あまり急いでいるようには見えませんが。2010年1月のワガドゥグ合意では大統領選実施後、6ヶ月以内に行うことになっていました。もうその期限が切れていますが、どうして遅れているのでしょうか。
2011年の11月頃に実施する予定だ。しかし、できるだけ皆が納得する選挙にしなくてはならない。そのためには選挙人口の国勢調査を行い、農民(徴税を免れたいために選挙登録に否定的)が選挙登録できるようにしなくてはならない。時間をかけて、すべてのギニア国民が参加でき、不正を最小限に抑えられる選挙を目指そうではないか。登録の重複を防ぐために、選挙証と国民IDも発行する。これだけは明らかだ:私は50年間、この国の民主主義のために戦ってきた。それをないがしろにしていた輩に私に指図する資格はない。私は強大な資金源を持つ陣営を打ち負かして大統領に当選した。民主主義は屈しないということを私は体現しているのだ。

あなたは大統領でありながら防衛大臣もつとめています。この国の軍隊には四半世紀にわたって悪い習慣が根付いてしまっていますが、どう対処していますか。
私はギニア国軍を誇りに思っている。彼らがもはや街で横を働くようなことはなくなったし、重火器は内陸部に追いやった。一部の将校には開発分野で活躍してもらうプログラムが進行中だ。今日のギニア軍の問題は、もはや彼らの行動ではなく、組織にある。一般兵より下士官が多いのは問題だ。中には1950年代から軍隊にいる人もいる。退職を推奨する手段を講じなくては。国民は軍隊を恐れている。急には無理でも、軍隊は民主主義こそ最良のものだということを自覚し、尊敬され、愛される存在にならなくてはならない。

前任者であるセクバ・コナテ将軍とはどういう関係にあるのですか。
彼と争うことは何もない。彼がギニアを選挙に導いたことは常に感謝している。確かに政権運営に関しては、至らないところがあったかもしれないが、彼は首相ではない。それに彼はいつも「自分は経済のことには疎い。書類にサインはするが、あとは私の後任に説明してほしい」と言っていた。だから私は鉱業のことも汚職のことも、彼に責任があると非難するつもりはない。非難されるべきは、彼を利用した輩だ。

あなたはダディス・カマラ大尉と何回か面会しています。最近だと4月7日にワガドゥグで会っています。彼は帰国を望んでいますが、あなたはそれを嫌がっています。なぜですか。
彼はそんな要望はしていないし、私には何も問題ない。ごく少数の人間がダディスの帰還を望んでいるが、それに対して彼自身がなんと言ったと思う?「彼らを逮捕するべきだ、彼らは私の意に反して私を担ぎ上げてるだけだ」

ダディス・カマラは2009年9月28日の大虐殺の責任者として、国際刑事裁判所に訴えられる可能性がありますが、あなたにとっては悩みの種ですね。
この問題に関して知りたい人は、柔軟にならなくてはならない。ギニアは27年間の軍事政権から抜け出したばかりのもろい国だ。うかつな発言は禁物だ。以前から公約してあるとおり、時期がくれば「真実と和解委員会」を組織する予定だ。でもその前に、国民すべてが聞く耳をもち、他者を許す用意がなくてはならない。そのために宗教界が県レベルで啓蒙活動を行っている。9月28日の事件だけではない。セク・トゥレ(初代大統領による迫害)や他の事件にも対処していかなくてはならない。和解がなされなければ、この国は憎しみで分断されてしまうだろう。

ギニア・フランが下落しています。コンパオレ(ブルキナ大統領)やトゥレ(マリ大統領)はギニアがCFAフラン圏に入ることを勧めています。
それは非常にデリケートな問題だ。目下の課題は経済を立て直して、ギニア・フランの価値を取り戻すことだ。

CFAフラン圏に入る可能性も排除はしないということですね。
私は緊急の課題から着手するのであって、それが解決されてから他の課題のことを考えることにしている。

ギニア・フランはギニアの家宝のようなものですが、今ではその輝きを失いつつありますね。
通貨は全ての国民に関わる問題だ。国内で議論を尽くし、国民によって決断されなければならないだろう。

コナクリ港・コンテナターミナルのコンセッションがBolloréに与えられた件が議論を呼んでいます。同社に実質上の独占を許したという批判がありますが。
それは間違いだ。コナクリ港がBolloréと結んだのは港の運営に関する技術協力協定だが、運輸省には連絡がなかった。それが発覚した後、協定は直ちにキャンセルされた。Bolloréが関与しているのはコンテナと鉄道と一部のオペレーションだけだ。

ギニアが貧困から脱し、食糧自給に達するために5年間の期限を定めました。少々野望的では?
この国の最も優れた開発計画は1955年にすでに存在していた。当時のフランス人総督ロラン・プレによる、ギニアを穀物庫にする計画だ。その後は見捨てられてしまったが、実現可能な計画だ。国が農民を支援することによって食糧自給を実現し、その後は輸出に回す。農民を指導してくれるのなら、外国資本は大歓迎だ。ただ我々はマダガスカルのように国土を売ることはしないので注意してもらいたい。

どのようにしてギニアを無政府状態から復帰させるのですか。
確かに困難はあるが、ギニアは国家として日々生まれ変わっている。コナクリ空港を例にとればいい。以前は麻薬などの取引と恐喝が日常茶飯事だったが、いまでは秩序が保たれている。麻薬取引の組織犯罪もそうだ。以前はギニア・ビサウからヘリコプターで麻薬が持ち込まれていたが、米仏の協力のおかげで大統領府直轄の麻薬取締り部隊が機能している。また、国際機関に対する未払い金や国外のギニア大使館にも支払いを始めている。在外ギニア大使館が料金滞納のせいで電気・水道を止められては、面子丸つぶれだからね。

あなたは全ての問題を自分自身で解決しようとしています。そんな状態ではすぐに疲れきってしまうのでは?
今のところ他に選択肢がない。もちろん首相と内閣はいて仕事をしてくれているが、悪い習慣が残っているので、結局私が全てチェックしなくてはならない。私はひとつの汚職も許しはしないからね。確かに疲れるが、私以外の誰がこの習慣撲滅の戦いを指導できる?私が管理しているのは、特別なギニア人ではなく、普通のギニア人なのだから。

あなたはコートジボアールとリビアの混乱について「武力行使をせず、アフリカ人による解決に賛成だ」と言いましたね。
リビアについては、国民の議論を経た休戦を、というAUと同じ立場だ。コートジボアールでは、選挙で選ばれたワタラ大統領の就任が、アフリカ人の手だけによってもたらされたものであれば良かったのに。リビアにせよ、コートジボアールにせよ、アフリカ人たちが自分自身で問題を解決できない現状は憂慮に値する。

ロラン・バグボ(前コートジボアール大統領)が逮捕された映像はショッキングでしたか?
それについてはノーコメントだ。

あなたはよく「ギニアは帰ってきた」という表現を使いますね。コートジボアールもそうですが。
私は他者とは比較しないことにしている。明らかなのは、1950年、ギニアも他の国もまだフランスの植民地だった時点では、ギニアは一番将来有望な国だったということだ。これまではその有望な資源を活用するすべを知らなかったが、資源は今もここにある。

皆が知っているように、あなたは金儲けには興味がない人です。しかしながら、あなたの一族が不当に利益を得ないようどのような方策を講じているのですか。
家族の存在はリスクであり、他の多くの国家元首にとってもアキレス腱(弱点)であるということは十分承知している。ギニア国民は全員知っている通り、妻と私は、違う家に住んでいる。彼女はカンカンのマリンケ族の豪商の出身で、当然多くの人が彼女の家を出入りしている。私はプル族の商人がマリンケ族の商人に取って代わられたと言われるのは嫌だ。はっきり言えば、私の家ではアポイントのない訪問者は受け付けないし、その中にビジネスマンは含まれていない。

誘惑と影響を防ぐためにはそれで十分なのですか。
もっとはっきり言ったほうがいいかね?妻には政治もビジネスもやるなと禁止してある。もし仮に彼女が特権のようなものを求めてくれば、その場で離婚する。それを彼女自身も、他の者たちもはっきりわかっているはずだ。

それでも、噂ではあなたの息子モハメドはいくつかの経済プロジェクトに関わっているとか…
それは間違いだ。息子はビジネスマンでもなければ企業家でもない。彼はアメリカで教育を受け、ブラジルとロンドンで働いていた。私の弟(兄)の死後にギニアに帰国して手伝ってくれている。私は英語が苦手だから、英語堪能な息子に通訳として、また、我が友・南アのズマ大統領による国際協力関連の仕事を手伝ってもらっている。うちの一族にはビジネスマンはいないし、誰にも私の代理としての権限を与えていない。私腹を肥やすだけの政治はもう終わりだ。私は自ら投資家たちと交渉するが、彼らも私が汚職には屈しないということをわかっている。

5年後にはギニアはどのような国になっていますか。
独立に成功していたらなっていたはずの姿になるだろう。鉄道、道路、ダム、低所得者向け住宅…。汚職ではなく働くことによって利益が得られる新しいギニア人による新しいギニアに。虚言、嫉妬、コンプレックスから解放された誇り高きギニアに。神の助けと世代交代、在外ギニア人の帰国によって少しずつ着実に実現されるだろう。

夢のような話では?
夢見る者が世界を前進させるのだ。

最近読んだ本は?
おとといアブダビからの帰りに飛行機の中で読んだ本があるが、名前は伏せておく。

どうしてですか?
少しくらい秘密があったってよかろう。

オフレコでも?
ジャーナリストの言うオフレコなんてあてにならないと、とっくの昔から知れているじゃないか。

*この記事は以下のJeune Afrique誌の記事を日本語で要約したものです。
Source: SOUDAN, François. Grand angle : Alpha Condé « Pendant cinquante ans, je me suis battu pour la démocratie. Qui oserait me donner des leçons? » Jeune Afrique 2628 (du 22 au 28 mai 2011). p22-29.

2011/12/26

セネガル 物乞い禁止令


2010年9月はじめのある夜、治安のよいダカールにしては珍しく、パトカーをみかけた。「あれは物乞いに立ち退きを命じているんだよ」と一緒にいた同僚が説明する。立ち退きに応じない場合は警察署に連行されるという。セネガル政府は数日前に、物乞いを厳しく取り締まると発表したばかりだった。
物乞いが犯罪扱いされる…貧しい人はどうなるの?禁止したところで何も根本的な問題の解決にはならないのでは?違和感を覚えた私は、同僚や友人たちに意見を聞いてみた。

物乞いを選ぶ人、選らばざるを得ない人
意外にも、物乞いの禁止は当然という意見が多い。「あの人たちは必ずしも貧しいわけではなくて、普通に働くよりも楽に稼げるから物乞いをしているのよ。そのお金で家を建てる人もいるんだから」と友人の一人が答える。別の同僚は「セネガル国内だけでなく隣国のマリやギニアビサウから物乞いをするためにわざわざダカールまでやってくる人もいる」という。
自ら選んで物乞いをする人がいる一方、物乞いが生活の糧を得る唯一の手段という人たちは、禁止令に反対している。ある障がい者団体は「政府は物乞いを禁止する前に、職業訓練などの支援をするべきだ。そうした対策があれば、これほどの障がい者が物乞いをする必要はないのに」と怒りをあらわにする[1]。

搾取の犠牲になる子供たち
実は、物乞いを禁止する法律は以前から存在する[2]。今回それを実際に厳しく適用し始めたということなのだが、その理由を政府は「子供の物乞いをなくし、その背景にある大人による子供の搾取、人身取引をなくすため」だと説明する。首都ダカールだけで約8千人の子供たちが物乞いをしているといわれ、その9割がタリベ(コーラン学校の生徒)だという。修行僧の托鉢のように、タリベたちは人々に施しを求めてまわるが、一日中物乞いをさせられ「稼ぎ」が少ないと体罰を与えられるという、搾取の対象となってきた[3]。

与える側の事情
一方で、一部の人たちは「良い行い」のために物乞いの存在を必要としている。セネガル人口の9割以上を占めるイスラム教徒の間では「喜捨」といって、恵まれない人々に施しを与えることが推奨されている。この国では、伝統的な習慣[4]も加わって施しを与えるのごく日常的になっている。
ある男性は新聞のインタビューで、「おとといは施しをするのにずいぶん苦労したよ。長いこと物乞いを探し回って、やっと良い行いができた」と答え、別の女性は「物乞いたちに場所を指定したほうがいいと思う。そうしたら施しをする必要があるときにすぐに彼らを見つけられるでしょう。街中をうろうろされるのは、きれいじゃないけどね」と答えている。

根の深い問題
波紋を呼んだ物乞い禁止令は、結局ワッド大統領によって撤回された[5]。あれから2ヶ月、一時期見かけなかった物乞いも小さなタリベも元通り街に戻ってきた。
自ら物乞いを選ぶ人、選ばざるを得ない人。物乞いを通して搾取する人、される人。与えるために物乞いを必要とする人。街で彼らに出会うたび、貧しさの一言では片付けられない、問題の根の深さを見る思いがする。



[1] Sénégal: Les mendiants défient l'interdiction de manche
http://www.afriquejet.com/afrique-de-l'ouest/senegal/senegal:-les-mendiants-defient-l'interdiction-de-manche-2010082755153.html
[2] 法律では、モスクなどの「宗教施設」を除く、公道での物乞いが禁止されている。2005年には「利益を搾取する目的で他者に物乞いをさせる」ことを禁ずる法律が制定された(違反の場合、懲役2~5年+罰金)。
[3] 今回の物乞い禁止令は人権保護団体からは評価されている。UNICEF、Human Rigtht Watchなどの報告によると、これらの子供たちはマラブー(コーラン学校の指導者)に強制させられて物乞いをしており、半数が10歳未満、9割以上がダカール外のほかの地域や隣国からつれてこられた子供たちだという。今回の取締りによってマラブーが逮捕され、子供たちが保護されたというニュースもある。
[4] たとえば、願い・おまじないをかなえるためにモノやお金を与えるなど。この辺の文化的事情は、セネガルの女流作家Aminata Sow Fallの小説『La grève des bàttus』(物乞いたちのストライキ)に詳しい。
[5]ワッド大統領は「喜捨(施し)は宗教によって推奨されている」と発言している。マラブーたちも彼の重要な支持層であり、物乞いや与える側よりも搾取している側を擁護しているように見える。

リベリア マイニング企業の鉄道争奪戦 Bataille du rail entre miniers

アルセロール・ミッタル社がリハビリしたYekepa-Buchanan間の鉄道の恩恵にBHPビリトン社、ヴァーレ社もあずかりたいと願っている。

2011年6月下旬、初めてアルセロール・ミッタルの鉄鉱石がYekepa鉱山とBuchanan港を結ぶ鉄道によって運ばれた。240Kmのこの鉄道は1950年代に開発され、内戦が激化する1990年までLamco社(Liberian-American-Swedish Minerals Company)によって運営されていたものだ。

アルセロール・ミッタルはこの鉄道リハビリに8億ドルを投じた。2012年から年間1500万トンを生産する予定だ。2003年以来、初めてリベリアから鉄鉱石を輸出する同社は、周辺で活動しているBHPビリトンやヴァーレを尻目に、この唯一の鉄道を独占している。

これらのライバル会社は、奥地から鉄鉱石運び出すためにこの鉄道を利用させてもらうか、もしくは自前で鉄道を新設しなければならないが、新設はリハビリよりも格段にコストがかかる。アルセロール・ミッタルの担当によると「リベリア政府は、鉄鉱石の開発期間中はずっと当社に鉄道の管理権を与えています。他社がこの鉄道を利用することも可能ですが、当社の活動に支障をきたさない限り、という条件付き」だという。

BHPビリトンが持っているリベリアの4箇所、ギニアの2箇所の鉱区は見事に鉄道沿いに位置しているため(地図参照)、アルセロール・ミッタルとの協議を進めていた。しかし、2010年初頭から続けられてきた協議は9月には打ち切りとなった。アルセロール・ミッタルは「当社がYekepa-Buchanan鉄道を使って輸送する鉄鉱石の重量は、かつてのLamco時代を上回ります。この上にキャパシティを超える余剰輸送は難しい」と説明する。

一方のBHPビリトンは「私たちにはまだ時間があります。まだ探査・開発段階ですから」と語る。同社が生産を開始するのは早くとも2018年の予定だ。最初の交渉は決裂したが、まだあきらめていない。同社はかつてはアルセロール・ミッタルの先を行っていたので、鉄道の一部でも使わせてもらえるよう、リベリア政府がアルセロールにプレッシャーを与えてくれるのではないかと願っている。

ヴァーレはBSGRと組んでYekepaから数キロの場所に位置するギニアのZogota鉱山の開発を進めており、同社もまたこの鉄道を利用したいと考えている。同社はギニアのコナテ前大統領からギニアの鉄鉱石をリベリア経由で輸出する許可を得たが、現在のコンデ大統領は、この合意を見直す姿勢を見せている。ヴァーレはなんとかそれを避けたいと、代わりにコナクリ―Kerouane間の乗客用鉄道の整備を約束した。同社もまだ希望を捨てていない。

*この記事は以下のJeune Afrique誌記事を日本語で要約したものです。
Source : LE BEC, Christophe. « Liberia : Bataille du rail entre miniers ». Jeune Afrique 2640-2641 (du 14 au 27 août 2011). p121.

ギニア 資源開発に沸く国

注目されるギニアの鉱脈
ギニアは西アフリカの大西洋沿いに位置する人口1000万人の共和国で、主な輸出品目はボーキサイト、アルミナ、金などの鉱物資源だ。「鉱業がくしゃみをすると経済が風邪を引く」といわれるほど、この国の経済における鉱物資源の重要性は高い。最近特に注目を浴びているのが鉄鉱石だ。鉄鉱石の需要は過去10年間で飛躍的に増加した。安定した供給を確保するために、世界の企業が、これまで手付かずだったギニアをはじめとする西アフリカの鉄鉱石鉱脈に目をつけ始めたのだ。これらの鉱脈は埋蔵量が250億から500億トンといわれ、しかもその大部分が鉄分65%という「優良」鉱脈だ。2010年に入ってからわずか半年で3つの大型プロジェクトが発表されており、その投資総額はおよそ82億ドル[1]、ギニアのGDP(44億ドル)の2倍近くに及ぶ。
これらの大型投資をギニア政府は歓迎している。これまでギニアは「半世紀以上250億トンの鉄鉱石の上に居座っていながら利益を得ることがなかった[2]」が、外資による開発で、鉱業分野で年間5億ドル―日本の対ギニア援助額[3]の40倍以上―の利益を出すことを見込んでいる。

「開発者」としての企業の役割
ギニア、そしてアフリカにおける資源開発の特徴のひとつは、地下資源の採掘に当たる企業が、道路・鉄道・発電所など周辺のインフラ整備を担うという点だ[4]。これは鉱脈のある場所が奥地のため、まずは交通手段と電力を確保しなければならないという理由もあるが、インフラ整備や地域住民の雇用がその国での採掘許可を得るための条件になっている場合も多い。地下資源を持つアフリカ諸国の政府は、資源を掘って自分たちの利益を上げたらさっさと引き上げてしまう企業ではなく、その地域コミュニティの開発に貢献する企業を求めている。企業側もそれをCSR(企業の社会的責任)の一部として位置づけるようになってきた[5]。

資源依存からの脱却
原油や鉱産物などの地下資源が豊富だからといって、その国が豊かになれるとは限らない。第一に、資源はいつか枯渇するものだし、輸出を資源だけに頼れば、その価格変動によって経済全体が左右されてしまう。第二に、地下資源に依存する国では、鉱業以外の産業が育ちにくいというジレンマがある。資源輸出がその国の通貨価値を引き上げ、農産物など他の輸出の妨げとなるためだ。さらには、ギニアの隣国シエラレオネの「ブラッド・ダイヤモンド」のように、資源が政情不安をあおることさえある。
現在ギニアでは鉱産物、特にボーキサイトが総輸出の7割以上を占めており、今後鉄鉱石の開発が進めば、鉱業分野の比重はますます高くなる可能性がある。2010年9月、ギニアでは初めての民主主義的選挙によって大統領が選出される。ギニアの新しい指導者たちは、資源で得た利益を国の発展のために再投資し、資源依存から脱却できるだろうか。手腕が試される。


【出典・参考資料】
  • 外務省ウェブサイト(ギニア共和国) http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/guinea/index.html
  • Jeune Afrique(アフリカ各国のニュース・仏語)  http://www.jeuneafrique.com/
  • CIA World Fact Book(各国の一般情報・英語)  https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/
  • 平野克己「資源の呪いか、開発の始まりか」NIRA政策レビュー33号 www.nira.or.jp/pdf/review33.pdf
  • 野村総合研究所「アフリカ新興国の資源開発と公的支援」 http://www.meti.go.jp/policy/external_economy/toshi/trade_insurance/pdf/itaku/20Africa-shinkoukoku.pdf
  • LE BEC, Christophe. Arrivé choc de Vale dans le fer guinéen. Jeune Afrique, 2010, #2574, p.68.
  • LE BEC, Christophe. Fer : la ruée vers l’Ouest africain. Jeune Afrique, 2010, #2586, p.66-67.



[1] シマンドゥ鉱山開発にはリオティント(豪)&中国アルミが29億ドル、ヴァーレ(伯)&BSGRが25億ドル、カルヤ鉱山開発にはベルゾーン(豪)&中国国際基金が28億ドルを出資すると発表した。Jeune Afriqueより。
[2] ティアム鉱業大臣のコメント。Jeune Afriqueより。
[3] 2007年度の実績では0.12億ドル。外務省HPより。
[4] 1の例でも明らかなように、インフラ整備の費用は莫大で企業一社が背負うには負担が大きい。中国は国営企業・政府の資金を使って積極的に資源獲得に乗り出している。
[5] 日本企業の例としては、三菱商事が関わっているモザンビークのモザールプロジェクト(ボーキサイト)がある。http://www.mitsubishicorp.com/jp/ja/about/ad/foryou/ad060112.html

2011/12/10

コートジボアール ワタラ大統領とソロ首相は名コンビ?


ワタラ大統領とソロ首相。先輩として、後輩として、二人はお互いの働きぶりを評価している。コンビを組んでから半年。外からみても、この二人は勤労・再建・和解というスローガンを共有し、しっくりと行っているように見える。「最初はぎこちなかったが、ソロは飲み込みが速く、すぐにワタラ流に適応した。彼はワタラと同じく、機敏で、実際的で、重要事項に着手する能力があることを証明した」と大臣の一人はコメントする。

大統領は経済政策と外交を、首相は防衛と安全保障を担当という役割分担もきちんと出来ている。そして、経済活動は再開し、役所は機能し、治安も回復…と、すでに成果を挙げている。共和国軍(FRCI)に関する山積みの課題はまだ片付いていないが…。
法治国家を再建し、北部の二重経済を終わらせたいワタラ大統領は、長年ソロを支持してきたComzoneの武将たちの動きを心配している。「ワタラを権力に助けてやったのは自分たちだ」と幅を利かせる彼らを慎重に扱わなければならないことをソロは知っている。

二人の経歴だけみれば、彼らが上手くいく保証などどこにも無かった。ワタラは69歳で、ソロ(39歳)の父親でもおかしくない年齢であり、一方はマリンケ族のムスリム、もう一方はセヌフォ族のカトリック。前者はIMF、BCEAO、首相を経験した経済の専門家で「理想の大統領」としてのプロフィールを国際社会も認めている。後者は、学生運動あがりの武力によって権力を手にしたやり手の政治家であり、それゆえに警戒もされている。ワタラは友人であるフランスにNOを言いにくいが、ソロはずばりと言ってのける。

もともとソロはバグボ寄りだった。ソロは1990年代半ばから、コートジボアール学生・生徒連邦(FESCI)のリーダーを務めていたが、1998年にバグボがFESCIのリーダーにソロの側近ではなく、ベテ族のシャルル・ブレ=グデを選んだことからソロはバグボから遠ざかる。ソロは彼を「イヴォワリテ」の波に乗っているを批判し、英国・フランスに逃れた。留学先のフランスでワタラと親しくなり、2002年にFN(元反乱軍)のリーダーになってからも、二人の親交は続いた。2007年にソロがバグボ政権下の首相になったときに二人の関係は悪化したが、バグボが大統領選後はソロを排除する気であるということを嗅ぎ取ったソロは再びワタラに接近。ソロは自分と自分の陣営の者たちの未来についてワタラと交渉し、すでに2008年の時点でワタラが当選した暁にはFNを国軍に編入するということで合意が出来ていたという。そして2010年の大統領選の前にも二人は秘密裏に接触し、「バグボ後」のシナリオを既に話し合っていた。

ブルキナ大統領ブレーズ・コンパオレの存在もソロ・ワタラ同盟に関係している。彼はソロとは10年、ワタラとは30年来の付き合いで、それぞれを息子・兄弟として扱っている。ブルキナファソといえば、植民地時代からカカオ王国コートジボアールへ300万人を超える出稼者を送り出してきた。コンパオレにとって、そのウフエボワニ時代の発展を呼び戻すことが出来るのはワタラなのだ。それで、二人が対立した時には間に入って仲介し、サポートしてきた。Comzoneを国際刑事裁判所に送るぞと脅しをかけることをやめるようにワタラに忠告したのもコンパオレだ。

コンパオレにとってもワタラにとっても、ソロは将来への賭けである。ソロには、ワタラ政権の原動力としてよい働きをすることが求められている。それによってコートジボアール再建の立役者としてワタラ自身も、そして後継者としてのソロの将来も約束される。ワタラは、大統領選で連合を組んだ協力者・ベディエを首相に迎えるか、重要ポストを与える義理を背負っているが、憲法を改正して副大統領というポストを新たに作り、ソロを手放さずにベディエを首相に迎えるという可能性も考えられる。

アラサン・ワタラ(Alassane OUATTARA)
69歳、イスラム教徒、経済学修士(ペンシルヴァニア大学)。IMF副代表、西アフリカ諸国中央銀行(BCEAO)総裁などを歴任。48歳で首相を経験。

ギヨーム・ソロ(Guillaume SORO)
39歳、キリスト教徒、英語学士(アビジャン大学)。元学生運動のリーダー。35歳で首相を経験。

*この記事は以下の『Jeune Afrique』誌の記事を日本語で要約したものです。
AIRAULT Pascal & MIEU Baudelaire. « Côte d’Ivoire : Partenaires particuliers ». Jeune Afrique 2655 (du 27 novembre au 3 décembre). p36-39.