2010年秋、初めての民主主義的選挙で選出されたコンデ大統領。その選挙戦を振り返る。
巨大な政党連合を作り上げて当選したアルファ・コンデ。同じ手法を使って国を纏め上げ、再建することが望まれている。
独立選挙委員会が11月15日に発表した暫定結果によれば、アルファ・コンデの得票率は52.52%、セル・ダレン・ジアロは47.48%。後者が、最高裁への異議申し立ての結果を待ちわびている一方で、「虹の連合」(コンデ陣営)の指導者たちは、将来への準備を始めている。過去4ヶ月間、決選投票の実施が危ぶまれるときもあったが、この4ヶ月が、運命の分かれ目となった。コンデは第一回投票での26ポイント差を巻き上げ、最終的に勝利した。これは偶然の産物ではない。
7月2日に発表された第一回投票の意外なまでの悪い結果に全く満足しなかったコンデは、早速翌日から、落選した他の候補者たちとの連携に動き出した。フランソワ・ロンセニ・ファル元首相、7%の得票を得たランサナ・クヤテをはじめとする、第一回投票のライバルたちの票を取り込み、低地ギニア、高地ギニア、中地ギニア、森林ギニアの全国4地方すべての有権者を動かそうとしたのだ。賭けはうまくいった。最終的に、116の政党、つまり全国ほぼ全ての政党に等しい16人の候補者と570支持団体が虹の連合の元に終結した。このようにして、長年野党闘士は、ライバルよりも優位に出た。
対するUFDG党は内部統制に苦労し、広報部門も弱く、プル族によるプル族のためのリーダーというジアロのイメージを拭い去れなかった。
シディヤ・トゥレ(得票13%)支持層の票取り込みもうまくいかなかった。トゥレは自らの支持者たちにジアロに投票するよう呼びかけはしたが、5年後の次期大統領選には自らが戻ってくると宣言していた。
虹の連合は、6月27日の「敗北」以降、RPG党の歴史の長さを訴えるだけでは、成果をもとめる若い有権者層の心には響かないことを痛感し、地域に密着したキャンペーンを全国で展開した。地域レベルでは民族語を利用し、マリンケ族であるコンデがスースー語で演説してことは成功の一因となった。また、コンデがコナクリの有名なイマムのコーラン学校に通ってたという意外な生い立ちも有権者の興味を引いた。
過半数のギニア人がコンデを改革と国家統一の士とみなして投票した。選挙キャンペーン中、コンテ大統領時代の官僚たちとともに改革を進めると公約したが、古株たちと新しい改革を進められるのだろうか?
コナクリではすでに、誰が首相になるのかというのが注目されている。プル族のウスマン・バー元議員(歴史的野党活動家の故シラジウ・ジアロの後継人)は「有力視」されている一人だ。プル族の中には、コンデに近づくことを批判する者もいるが、プル族の彼が首相になることで民族間の緊張を和らげることになるかもしれない。スースー族のイブラヒマ・カソリ・フォファナ元経済財政相や女性人権活動家サラン・ダラバ・カバの名前もささやかれている。ドレ現首相が新内閣を組閣し、議会が移管期間を定めるまで続投することも考えられる。
ひとつだけ確かなのは、「国家統一のための大きな内閣」をつくるという新大統領の意志だ。最初の100日間でコンデは、ジアロ支持の有権者と無党派層(地方によっては投票率が50%そこそこだった)、忘れてはならない軍隊の存在と国際社会を安心させなくてはならない。選挙後の安定、国家の和解と統合は最重要課題だ。コンデはすでに「弟ジアロにギニアの統一と繁栄を築く」ことを呼びかけている。
国家和解委員会の設置、農業の発展と食糧自給、1020KM のトランスギニアンを含む道路鉄道インフラの整備(建設には軍隊の人員を使うことも検討されている)、コナクリ大学の建設…新大統領の課題は山積みだ。
*この記事は以下のJeune Afrique誌の記事を日本語で要約したものです。
SOW Cécile. Guinée : Que va-t-il faire de sa victoire? Jeune Afrique 2602 (du 21 au 17 novembre 2010). P12-15.