2012/04/05

マリ クーデタ発生

マリ北部ではリビアのカダフィ政権崩壊後から、武装化したトゥアレグ族反乱軍数百名がマリ国内に戻り、情勢が不安定化。今年はじめからマリ国軍との戦闘が激化していた。



3月21-22日、反乱軍との戦いでマリ国軍の装備が不十分であると不満を持った一部の兵士たちが、騒乱を起こし、国営放送局(ORTM)と大統領府を占拠。サノゴ大尉がCNRDRE(民主主義再建・国家復興のための国家委員会)の結成を宣言。早期に民主的選挙を実施して民政移管を果たす姿勢を示した。憲法・役所機能は停止され、夜間外出禁止令がしかれた。


このクーデタを受けてドナーは援助を凍結し、アフリカ連合(AU)とECOWASはマリの参加資格を停止した。


ECOWASは3月29日、72時間以内(4月2日)までに憲法秩序が回復されない場合は、マリに対する制裁を発動すると発表。(マリの国境封鎖・禁輸措置、ECOWAS中央銀行のマリ口座凍結、CNRDREメンバーの資産凍結及び渡航制限など。) これを受けて、CNRDREのサノゴ大尉は憲法と役所機能の4月1日付けでの再開を宣言し、民政移管のための機関を設置して早期に選挙を行うと約束したが、ECOWASはマリへの禁輸措置を断行、軍事介入の可能性をちらつかせてCNRDREに圧力をかけている。

一方、この間に、トゥアレグ族の反乱軍MNLAはキダル(Kidal)、ガオ(Gao)、トンブクトゥ(Tomboucoutou)など、北部の主要都市を次々と制圧、国家が二分される事態に発展。


反乱軍はイスラム過激派Ansar Dineの支援を受けているといわれる。彼らはマリ北部でのシャリア適用を求めて、今年はじめから戦闘を活発化させており、中心人物と言われるIyad Ag Ghalyは90年代のトゥアレグ反乱軍の中核を担っていた人物。

クーデタで失脚したトゥレ大統領(Amadou Toumari Toure)の所在はわかっていないが、バマコ郊外の軍キャンプに身を潜めていると言われる。大統領は任期終了直前で、4月末に大統領選挙が行われる予定だった。トゥレ大統領は元軍人で、1991年のクーデタでそれまでの独裁的トラオレ大統領を失脚させた人物。その後軍を辞して政治家に転身し、2002年に選挙によって大統領に当選し、2007年に再選した。当選した後は、対話重視の民主主義者として振る舞い、北部から首相を迎えるなど、ガバナンスによる一定の北部対策を行ってきた。

セネガル 大統領選終了、マッキー・サール新大統領が就任

大統領選の決選投票が予定通り3月25日に行われた。現職アブドゥライ・ワッド大統領(85歳)と、彼の元でキャリアを積み首相を務めた経験のあるマッキー・サール氏(50歳)の師弟対決となり、サール氏が65.8%の得票を得て4人目のセネガル共和国大統領に当選した。これに対しワッド氏の得票は34.2%だった。投票率は55%で第一回投票から微増した。


2月26日に行われた第一回投票では、ワッド氏35%、サール氏26%の得票率だった。第一回投票で落選した他の候補十数名は全てサール氏支持を表明していた。

投票日当日は大きな混乱はなく平和裏に投票が行われた。その日の夜から国営放送(RTS)等で開票速報が流れ、特にダカールの選挙区ではサール氏の圧倒的な優勢が伝えられた。21時半頃、同国営放送で、ワッド氏がサール氏に電話し勝利を祝福したことが伝えられ、政権交代が確実となった。ワッド氏が潔く敗北をみとめたことで、セネガルの民主主義の伝統が守られたといえる。(セネガルは独立以来一度もクーデタ・紛争を経験しておらず、常に民主主義的な選挙によって政権交代が行われてきた。)


4月2日にサール新大統領の就任式が行われた。
サール新大統領に対する国民の期待は大きいが、基礎食料品や燃料の価格安定、雇用問題、エネルギー問題など、限られた予算の中で取り組むべき課題が山積みだ。新大統領の手腕に注目が集まっている。