2011/10/25

ギニア コンデ勝利の後に Que va-t-il faire de sa victoire?

2010年秋、初めての民主主義的選挙で選出されたコンデ大統領。その選挙戦を振り返る。

巨大な政党連合を作り上げて当選したアルファ・コンデ。同じ手法を使って国を纏め上げ、再建することが望まれている。

独立選挙委員会が1115日に発表した暫定結果によれば、アルファ・コンデの得票率は52.52%、セル・ダレン・ジアロは47.48%。後者が、最高裁への異議申し立ての結果を待ちわびている一方で、「虹の連合」(コンデ陣営)の指導者たちは、将来への準備を始めている。過去4ヶ月間、決選投票の実施が危ぶまれるときもあったが、この4ヶ月が、運命の分かれ目となった。コンデは第一回投票での26ポイント差を巻き上げ、最終的に勝利した。これは偶然の産物ではない。

72日に発表された第一回投票の意外なまでの悪い結果に全く満足しなかったコンデは、早速翌日から、落選した他の候補者たちとの連携に動き出した。フランソワ・ロンセニ・ファル元首相、7%の得票を得たランサナ・クヤテをはじめとする、第一回投票のライバルたちの票を取り込み、低地ギニア、高地ギニア、中地ギニア、森林ギニアの全国4地方すべての有権者を動かそうとしたのだ。賭けはうまくいった。最終的に、116の政党、つまり全国ほぼ全ての政党に等しい16人の候補者と570支持団体が虹の連合の元に終結した。このようにして、長年野党闘士は、ライバルよりも優位に出た。

対するUFDG党は内部統制に苦労し、広報部門も弱く、プル族によるプル族のためのリーダーというジアロのイメージを拭い去れなかった。
シディヤ・トゥレ(得票13)支持層の票取り込みもうまくいかなかった。トゥレは自らの支持者たちにジアロに投票するよう呼びかけはしたが、5年後の次期大統領選には自らが戻ってくると宣言していた。

虹の連合は、627日の「敗北」以降、RPG党の歴史の長さを訴えるだけでは、成果をもとめる若い有権者層の心には響かないことを痛感し、地域に密着したキャンペーンを全国で展開した。地域レベルでは民族語を利用し、マリンケ族であるコンデがスースー語で演説してことは成功の一因となった。また、コンデがコナクリの有名なイマムのコーラン学校に通ってたという意外な生い立ちも有権者の興味を引いた。
過半数のギニア人がコンデを改革と国家統一の士とみなして投票した。選挙キャンペーン中、コンテ大統領時代の官僚たちとともに改革を進めると公約したが、古株たちと新しい改革を進められるのだろうか?

コナクリではすでに、誰が首相になるのかというのが注目されている。プル族のウスマン・バー元議員(歴史的野党活動家のシラジウ・ジアロの後継人)は「有力視」されている一人だ。プル族の中には、コンデに近づくことを批判する者もいるが、プル族の彼が首相になることで民族間の緊張を和らげることになるかもしれない。スースー族のイブラヒマ・カソリ・フォファナ元経済財政相や女性人権活動家サラン・ダラバ・カバの名前もささやかれている。ドレ現首相が新内閣を組閣し、議会が移管期間を定めるまで続投することも考えられる。

ひとつだけ確かなのは、「国家統一のための大きな内閣」をつくるという新大統領の意志だ。最初の100日間でコンデは、ジアロ支持の有権者と無党派層(地方によっては投票率が50%そこそこだった)、忘れてはならない軍隊の存在と国際社会を安心させなくてはならない。選挙後の安定、国家の和解と統合は最重要課題だ。コンデはすでに「弟ジアロにギニアの統一と繁栄を築く」ことを呼びかけている。

国家和解委員会の設置、農業の発展と食糧自給、1020KM のトランスギニアンを含む道路鉄道インフラの整備(建設には軍隊の人員を使うことも検討されている)、コナクリ大学の建設…新大統領の課題は山積みだ。

*この記事は以下のJeune Afrique誌の記事を日本語で要約したものです。
SOW Cécile. Guinée : Que va-t-il faire de sa victoire? Jeune Afrique 2602 (du 21 au 17 novembre 2010). P12-15.

ギニア 鉄鉱石/西アフリカへ殺到


世界的に増え続ける鉄鉱石需要を前に、鉱業メジャーだけでなくジュニア・マインや製鉄業者も、西アフリカに巨額の投資を行っている。

西アフリカは鉄鉱石の新たな供給地として注目を集めている。ヴァーレ(ブラジル)BHPビリトン()、リオ・ティント()など世界の生産量の7割を占める業界3強はもちろんのこと、彼らの顧客である製鉄業者―アルセロール・ミッタル(仏印)、タタ・スティール()Shanong Iron and Steel(中国)Chinalco(中国)など―もこの地域に進出している。
彼らはあらゆるリスクに勇敢に立ち向かい、ジュニア・マインと手を組んで奥地でも政治的に不安定といわれる場所でもプロジェクトを立ち上げている。実際、これまで特にリスクが高いといわれていたギニア、リベリア、シエラレオネでは、過去半年の間に大規模プロジェクトの合意が5つも発表されており、その投資総額は100億ユーロ弱に上る。
業界の中心はアフリカに移っている。中国の台頭により、鉄鉱石の需要は10年前から飛躍的に増加している。2大生産地オーストラリアとブラジルの生産量が増えても、需要には追いつかない。中国自身も国内での鉄鉱石生産を増加させているが、同国の鉄鉱石は質が良くなく、鉄分が20%にとどまる。
鉄鉱石の価格は上昇傾向にあり、製鉄業者側は、自分たち自身で鉱石を開発したいと願っている。これは今年3月から鉄鉱石の価格決めのシステムが変わったことが影響している。大口の購入に関しては一年間決まった値段で売買する長期市場ではなく、そのつど市場で交渉される短期市場に移行したのだ。

人気高まるギニア
そのような状況のなかで、西アフリカの鉱脈は「食欲」をそそっている:250億から500億トンといわれる埋蔵量、しかもその大部分が鉄分65%というオーストラリアの優良鉱脈に匹敵するレベルにあるのだから、引く手あまただ。
ギニアでは3月にリオ・ティントとChinalcoが世界第3位の埋蔵量を誇るシマンドゥ鉱山の北地区に22億ユーロを投資することで合意した。5月には、ヴァーレが同じくシマンドゥ鉱山の南地区開発への意欲を明らかにした。19億ユーロをかけてBSGRギニア子会社の株式51%を取得したのだ。豪ジュニア・マイナーのBellzoneは中国国際基金(CIF)と合意を結び、21億ユーロを投じてギニア中部Kalyaの鉄鉱石開発に着手する予定だ。
お隣のリベリアでは、BHPビリトンが615日にリベリア 政府と合意を結び、23億ユーロを投じて国内4箇所で鉄鉱石の開発にあたる。一方アルセロール・ミッタルは、2006年に取得したLiberian American Mining Company (Lamco)の古い鉱脈開発を再開させる。
シエラレオネでは、Shandon Iron and SteelAfrican MineralsTonkolili鉱脈に12億ユーロを投資し、優遇価格で年間1000万トンを確保する予定だ。

単一産業化を避けられるか
これまで世界におけるアフリカの鉄鉱石供給量は4%にとどまっているが、今後10年間で15%までシェアが高まると専門家は見る。先陣を切るモーリタニアはもう少数派ではない。ギニアは世界3位の生産国になる野望を抱いている。セネガルではFaleme鉱脈の開発のためにNMDC()とアルセロール・ミッタルとの合弁会社設立の準備が進んでいる。
ギニアのティアム鉱業相は「われわれは50年間、鉱脈の上に居座りながら何もしてこなかった。近い将来、鉄鉱石はギニアの国家経済において、ナイジェリアの石油に匹敵するようになるだろう」。華々しく発表されたこれらの大規模プロジェクトは実際に実現するだろうか。政治的不測の事態を乗り越え、利益を上げられるだろうか。そして成功の暁には、単一産業化という暗礁を避けられるだろうか。

*この記事は以下のJeune Afrique誌の記事を日本語で要約したものです。
Le Beck, Christophe. Fer : La ruée vers l’Ouest africain. Jeune Afrique 2586 du 1er au 7 août 2010. pp.66-67.