マリ北部ではリビアのカダフィ政権崩壊後から、武装化したトゥアレグ族反乱軍数百名がマリ国内に戻り、情勢が不安定化。今年はじめからマリ国軍との戦闘が激化していた。
3月21-22日、反乱軍との戦いでマリ国軍の装備が不十分であると不満を持った一部の兵士たちが、騒乱を起こし、国営放送局(ORTM)と大統領府を占拠。サノゴ大尉がCNRDRE(民主主義再建・国家復興のための国家委員会)の結成を宣言。早期に民主的選挙を実施して民政移管を果たす姿勢を示した。憲法・役所機能は停止され、夜間外出禁止令がしかれた。
このクーデタを受けてドナーは援助を凍結し、アフリカ連合(AU)とECOWASはマリの参加資格を停止した。
ECOWASは3月29日、72時間以内(4月2日)までに憲法秩序が回復されない場合は、マリに対する制裁を発動すると発表。(マリの国境封鎖・禁輸措置、ECOWAS中央銀行のマリ口座凍結、CNRDREメンバーの資産凍結及び渡航制限など。) これを受けて、CNRDREのサノゴ大尉は憲法と役所機能の4月1日付けでの再開を宣言し、民政移管のための機関を設置して早期に選挙を行うと約束したが、ECOWASはマリへの禁輸措置を断行、軍事介入の可能性をちらつかせてCNRDREに圧力をかけている。
一方、この間に、トゥアレグ族の反乱軍MNLAはキダル(Kidal)、ガオ(Gao)、トンブクトゥ(Tomboucoutou)など、北部の主要都市を次々と制圧、国家が二分される事態に発展。
反乱軍はイスラム過激派Ansar Dineの支援を受けているといわれる。彼らはマリ北部でのシャリア適用を求めて、今年はじめから戦闘を活発化させており、中心人物と言われるIyad Ag Ghalyは90年代のトゥアレグ反乱軍の中核を担っていた人物。
クーデタで失脚したトゥレ大統領(Amadou Toumari Toure)の所在はわかっていないが、バマコ郊外の軍キャンプに身を潜めていると言われる。大統領は任期終了直前で、4月末に大統領選挙が行われる予定だった。トゥレ大統領は元軍人で、1991年のクーデタでそれまでの独裁的トラオレ大統領を失脚させた人物。その後軍を辞して政治家に転身し、2002年に選挙によって大統領に当選し、2007年に再選した。当選した後は、対話重視の民主主義者として振る舞い、北部から首相を迎えるなど、ガバナンスによる一定の北部対策を行ってきた。
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