ワタラ大統領とソロ首相。先輩として、後輩として、二人はお互いの働きぶりを評価している。コンビを組んでから半年。外からみても、この二人は勤労・再建・和解というスローガンを共有し、しっくりと行っているように見える。「最初はぎこちなかったが、ソロは飲み込みが速く、すぐにワタラ流に適応した。彼はワタラと同じく、機敏で、実際的で、重要事項に着手する能力があることを証明した」と大臣の一人はコメントする。
大統領は経済政策と外交を、首相は防衛と安全保障を担当という役割分担もきちんと出来ている。そして、経済活動は再開し、役所は機能し、治安も回復…と、すでに成果を挙げている。共和国軍(FRCI)に関する山積みの課題はまだ片付いていないが…。
法治国家を再建し、北部の二重経済を終わらせたいワタラ大統領は、長年ソロを支持してきたComzoneの武将たちの動きを心配している。「ワタラを権力に助けてやったのは自分たちだ」と幅を利かせる彼らを慎重に扱わなければならないことをソロは知っている。
二人の経歴だけみれば、彼らが上手くいく保証などどこにも無かった。ワタラは69歳で、ソロ(39歳)の父親でもおかしくない年齢であり、一方はマリンケ族のムスリム、もう一方はセヌフォ族のカトリック。前者はIMF、BCEAO、首相を経験した経済の専門家で「理想の大統領」としてのプロフィールを国際社会も認めている。後者は、学生運動あがりの武力によって権力を手にしたやり手の政治家であり、それゆえに警戒もされている。ワタラは友人であるフランスにNOを言いにくいが、ソロはずばりと言ってのける。
もともとソロはバグボ寄りだった。ソロは1990年代半ばから、コートジボアール学生・生徒連邦(FESCI)のリーダーを務めていたが、1998年にバグボがFESCIのリーダーにソロの側近ではなく、ベテ族のシャルル・ブレ=グデを選んだことからソロはバグボから遠ざかる。ソロは彼を「イヴォワリテ」の波に乗っているを批判し、英国・フランスに逃れた。留学先のフランスでワタラと親しくなり、2002年にFN(元反乱軍)のリーダーになってからも、二人の親交は続いた。2007年にソロがバグボ政権下の首相になったときに二人の関係は悪化したが、バグボが大統領選後はソロを排除する気であるということを嗅ぎ取ったソロは再びワタラに接近。ソロは自分と自分の陣営の者たちの未来についてワタラと交渉し、すでに2008年の時点でワタラが当選した暁にはFNを国軍に編入するということで合意が出来ていたという。そして2010年の大統領選の前にも二人は秘密裏に接触し、「バグボ後」のシナリオを既に話し合っていた。
ブルキナ大統領ブレーズ・コンパオレの存在もソロ・ワタラ同盟に関係している。彼はソロとは10年、ワタラとは30年来の付き合いで、それぞれを息子・兄弟として扱っている。ブルキナファソといえば、植民地時代からカカオ王国コートジボアールへ300万人を超える出稼者を送り出してきた。コンパオレにとって、そのウフエボワニ時代の発展を呼び戻すことが出来るのはワタラなのだ。それで、二人が対立した時には間に入って仲介し、サポートしてきた。Comzoneを国際刑事裁判所に送るぞと脅しをかけることをやめるようにワタラに忠告したのもコンパオレだ。
コンパオレにとってもワタラにとっても、ソロは将来への賭けである。ソロには、ワタラ政権の原動力としてよい働きをすることが求められている。それによってコートジボアール再建の立役者としてワタラ自身も、そして後継者としてのソロの将来も約束される。ワタラは、大統領選で連合を組んだ協力者・ベディエを首相に迎えるか、重要ポストを与える義理を背負っているが、憲法を改正して副大統領というポストを新たに作り、ソロを手放さずにベディエを首相に迎えるという可能性も考えられる。
アラサン・ワタラ(Alassane OUATTARA)
69歳、イスラム教徒、経済学修士(ペンシルヴァニア大学)。IMF副代表、西アフリカ諸国中央銀行(BCEAO)総裁などを歴任。48歳で首相を経験。
ギヨーム・ソロ(Guillaume SORO)
39歳、キリスト教徒、英語学士(アビジャン大学)。元学生運動のリーダー。35歳で首相を経験。
*この記事は以下の『Jeune Afrique』誌の記事を日本語で要約したものです。
AIRAULT Pascal & MIEU Baudelaire. « Côte d’Ivoire : Partenaires particuliers ». Jeune Afrique 2655 (du 27 novembre au 3 décembre). p36-39.
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