2011/12/26

セネガル 物乞い禁止令


2010年9月はじめのある夜、治安のよいダカールにしては珍しく、パトカーをみかけた。「あれは物乞いに立ち退きを命じているんだよ」と一緒にいた同僚が説明する。立ち退きに応じない場合は警察署に連行されるという。セネガル政府は数日前に、物乞いを厳しく取り締まると発表したばかりだった。
物乞いが犯罪扱いされる…貧しい人はどうなるの?禁止したところで何も根本的な問題の解決にはならないのでは?違和感を覚えた私は、同僚や友人たちに意見を聞いてみた。

物乞いを選ぶ人、選らばざるを得ない人
意外にも、物乞いの禁止は当然という意見が多い。「あの人たちは必ずしも貧しいわけではなくて、普通に働くよりも楽に稼げるから物乞いをしているのよ。そのお金で家を建てる人もいるんだから」と友人の一人が答える。別の同僚は「セネガル国内だけでなく隣国のマリやギニアビサウから物乞いをするためにわざわざダカールまでやってくる人もいる」という。
自ら選んで物乞いをする人がいる一方、物乞いが生活の糧を得る唯一の手段という人たちは、禁止令に反対している。ある障がい者団体は「政府は物乞いを禁止する前に、職業訓練などの支援をするべきだ。そうした対策があれば、これほどの障がい者が物乞いをする必要はないのに」と怒りをあらわにする[1]

搾取の犠牲になる子供たち
実は、物乞いを禁止する法律は以前から存在する[2]。今回それを実際に厳しく適用し始めたということなのだが、その理由を政府は「子供の物乞いをなくし、その背景にある大人による子供の搾取、人身取引をなくすため」だと説明する。首都ダカールだけで約8千人の子供たちが物乞いをしているといわれ、その9割がタリベ(コーラン学校の生徒)だという。修行僧の托鉢のように、タリベたちは人々に施しを求めてまわるが、一日中物乞いをさせられ「稼ぎ」が少ないと体罰を与えられるという、搾取の対象となってきた[3]

与える側の事情
一方で、一部の人たちは「良い行い」のために物乞いの存在を必要としている。セネガル人口の9割以上を占めるイスラム教徒の間では「喜捨」といって、恵まれない人々に施しを与えることが推奨されている。この国では、伝統的な習慣[4]も加わって施しを与えるのごく日常的になっている。
ある男性は新聞のインタビューで、「おとといは施しをするのにずいぶん苦労したよ。長いこと物乞いを探し回って、やっと良い行いができた」と答え、別の女性は「物乞いたちに場所を指定したほうがいいと思う。そうしたら施しをする必要があるときにすぐに彼らを見つけられるでしょう。街中をうろうろされるのは、きれいじゃないけどね」と答えている。

根の深い問題
波紋を呼んだ物乞い禁止令は、結局ワッド大統領によって撤回された[5]。あれから2ヶ月、一時期見かけなかった物乞いも小さなタリベも元通り街に戻ってきた。
自ら物乞いを選ぶ人、選ばざるを得ない人。物乞いを通して搾取する人、される人。与えるために物乞いを必要とする人。街で彼らに出会うたび、貧しさの一言では片付けられない、問題の根の深さを見る思いがする。



[1] Sénégal: Les mendiants défient l'interdiction de manche
http://www.afriquejet.com/afrique-de-l'ouest/senegal/senegal:-les-mendiants-defient-l'interdiction-de-manche-2010082755153.html
[2] 法律では、モスクなどの「宗教施設」を除く、公道での物乞いが禁止されている。2005年には「利益を搾取する目的で他者に物乞いをさせる」ことを禁ずる法律が制定された(違反の場合、懲役25年+罰金)
[3] 今回の物乞い禁止令は人権保護団体からは評価されている。UNICEFHuman Rigtht Watchなどの報告によると、これらの子供たちはマラブー(コーラン学校の指導者)に強制させられて物乞いをしており、半数が10歳未満、9割以上がダカール外のほかの地域や隣国からつれてこられた子供たちだという。今回の取締りによってマラブーが逮捕され、子供たちが保護されたというニュースもある。
[4] たとえば、願い・おまじないをかなえるためにモノやお金を与えるなど。この辺の文化的事情は、セネガルの女流作家Aminata Sow Fallの小説『La grève des bàttus(物乞いたちのストライキ)に詳しい。
[5]ワッド大統領は「喜捨(施し)は宗教によって推奨されている」と発言している。マラブーたちも彼の重要な支持層であり、物乞いや与える側よりも搾取している側を擁護しているように見える。

リベリア マイニング企業の鉄道争奪戦 Bataille du rail entre miniers

アルセロール・ミッタル社がリハビリしたYekepa-Buchanan間の鉄道の恩恵にBHPビリトン社、ヴァーレ社もあずかりたいと願っている。

2011年6月下旬、初めてアルセロール・ミッタルの鉄鉱石がYekepa鉱山とBuchanan港を結ぶ鉄道によって運ばれた。240Kmのこの鉄道は1950年代に開発され、内戦が激化する1990年までLamco(Liberian-American-Swedish Minerals Company)によって運営されていたものだ。

アルセロール・ミッタルはこの鉄道リハビリに8億ドルを投じた。2012年から年間1500万トンを生産する予定だ。2003年以来、初めてリベリアから鉄鉱石を輸出する同社は、周辺で活動しているBHPビリトンやヴァーレを尻目に、この唯一の鉄道を独占している。

これらのライバル会社は、奥地から鉄鉱石運び出すためにこの鉄道を利用させてもらうか、もしくは自前で鉄道を新設しなければならないが、新設はリハビリよりも格段にコストがかかる。アルセロール・ミッタルの担当によると「リベリア政府は、鉄鉱石の開発期間中はずっと当社に鉄道の管理権を与えています。他社がこの鉄道を利用することも可能ですが、当社の活動に支障をきたさない限り、という条件付き」だという。

BHPビリトンが持っているリベリアの4箇所、ギニアの2箇所の鉱区は見事に鉄道沿いに位置しているため(地図参照)、アルセロール・ミッタルとの協議を進めていた。しかし、2010年初頭から続けられてきた協議は9月には打ち切りとなった。アルセロール・ミッタルは「当社がYekepa-Buchanan鉄道を使って輸送する鉄鉱石の重量は、かつてのLamco時代を上回ります。この上にキャパシティを超える余剰輸送は難しい」と説明する。

一方のBHPビリトンは「私たちにはまだ時間があります。まだ探査・開発段階ですから」と語る。同社が生産を開始するのは早くとも2018年の予定だ。最初の交渉は決裂したが、まだあきらめていない。同社はかつてはアルセロール・ミッタルの先を行っていたので、鉄道の一部でも使わせてもらえるよう、リベリア政府がアルセロールにプレッシャーを与えてくれるのではないかと願っている。

ヴァーレはBSGRと組んでYekepaから数キロの場所に位置するギニアのZogota鉱山の開発を進めており、同社もまたこの鉄道を利用したいと考えている。同社はギニアのコナテ前大統領からギニアの鉄鉱石をリベリア経由で輸出する許可を得たが、現在のコンデ大統領は、この合意を見直す姿勢を見せている。ヴァーレはなんとかそれを避けたいと、代わりにコナクリ―Kerouane間の乗客用鉄道の整備を約束した。同社もまだ希望を捨てていない。

*この記事は以下のJeune Afrique誌記事を日本語で要約したものです。
Source : LE BEC, Christophe. « Liberia : Bataille du rail entre miniers ». Jeune Afrique 2640-2641 (du 14 au 27 août 2011). p121.

ギニア 資源開発に沸く国

注目されるギニアの鉱脈
ギニアは西アフリカの大西洋沿いに位置する人口1000万人の共和国で、主な輸出品目はボーキサイト、アルミナ、金などの鉱物資源だ。「鉱業がくしゃみをすると経済が風邪を引く」といわれるほど、この国の経済における鉱物資源の重要性は高い。最近特に注目を浴びているのが鉄鉱石だ。鉄鉱石の需要は過去10年間で飛躍的に増加した。安定した供給を確保するために、世界の企業が、これまで手付かずだったギニアをはじめとする西アフリカの鉄鉱石鉱脈に目をつけ始めたのだ。これらの鉱脈は埋蔵量が250億から500億トンといわれ、しかもその大部分が鉄分65%という「優良」鉱脈だ。2010年に入ってからわずか半年で3つの大型プロジェクトが発表されており、その投資総額はおよそ82億ドル[1]、ギニアのGDP(44億ドル)2倍近くに及ぶ。
これらの大型投資をギニア政府は歓迎している。これまでギニアは「半世紀以上250億トンの鉄鉱石の上に居座っていながら利益を得ることがなかった[2]」が、外資による開発で、鉱業分野で年間5億ドル―日本の対ギニア援助額[3]40倍以上―の利益を出すことを見込んでいる。

「開発者」としての企業の役割
ギニア、そしてアフリカにおける資源開発の特徴のひとつは、地下資源の採掘に当たる企業が、道路・鉄道・発電所など周辺のインフラ整備を担うという点だ[4]。これは鉱脈のある場所が奥地のため、まずは交通手段と電力を確保しなければならないという理由もあるが、インフラ整備や地域住民の雇用がその国での採掘許可を得るための条件になっている場合も多い。地下資源を持つアフリカ諸国の政府は、資源を掘って自分たちの利益を上げたらさっさと引き上げてしまう企業ではなく、その地域コミュニティの開発に貢献する企業を求めている。企業側もそれをCSR(企業の社会的責任)の一部として位置づけるようになってきた[5]

資源依存からの脱却
原油や鉱産物などの地下資源が豊富だからといって、その国が豊かになれるとは限らない。第一に、資源はいつか枯渇するものだし、輸出を資源だけに頼れば、その価格変動によって経済全体が左右されてしまう。第二に、地下資源に依存する国では、鉱業以外の産業が育ちにくいというジレンマがある。資源輸出がその国の通貨価値を引き上げ、農産物など他の輸出の妨げとなるためだ。さらには、ギニアの隣国シエラレオネの「ブラッド・ダイヤモンド」のように、資源が政情不安をあおることさえある。
現在ギニアでは鉱産物、特にボーキサイトが総輸出の7割以上を占めており、今後鉄鉱石の開発が進めば、鉱業分野の比重はますます高くなる可能性がある。20109月、ギニアでは初めての民主主義的選挙によって大統領が選出される。ギニアの新しい指導者たちは、資源で得た利益を国の発展のために再投資し、資源依存から脱却できるだろうか。手腕が試される。


【出典・参考資料】
  • 外務省ウェブサイト(ギニア共和国) http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/guinea/index.html
  • Jeune Afrique(アフリカ各国のニュース・仏語)  http://www.jeuneafrique.com/
  • CIA World Fact Book(各国の一般情報・英語)  https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/
  • 平野克己「資源の呪いか、開発の始まりか」NIRA政策レビュー33号 www.nira.or.jp/pdf/review33.pdf
  • 野村総合研究所「アフリカ新興国の資源開発と公的支援」 http://www.meti.go.jp/policy/external_economy/toshi/trade_insurance/pdf/itaku/20Africa-shinkoukoku.pdf
  • LE BEC, Christophe. Arrivé choc de Vale dans le fer guinéen. Jeune Afrique, 2010, #2574, p.68.
  • LE BEC, Christophe. Fer : la ruée vers l’Ouest africain. Jeune Afrique, 2010, #2586, p.66-67.



[1] シマンドゥ鉱山開発にはリオティント()&中国アルミが29億ドル、ヴァーレ()BSGR25億ドル、カルヤ鉱山開発にはベルゾーン()&中国国際基金が28億ドルを出資すると発表した。Jeune Afriqueより。
[2] ティアム鉱業大臣のコメント。Jeune Afriqueより。
[3] 2007年度の実績では0.12億ドル。外務省HPより。
[4] 1の例でも明らかなように、インフラ整備の費用は莫大で企業一社が背負うには負担が大きい。中国は国営企業・政府の資金を使って積極的に資源獲得に乗り出している。
[5] 日本企業の例としては、三菱商事が関わっているモザンビークのモザールプロジェクト(ボーキサイト)がある。http://www.mitsubishicorp.com/jp/ja/about/ad/foryou/ad060112.html

2011/12/10

コートジボアール ワタラ大統領とソロ首相は名コンビ?


ワタラ大統領とソロ首相。先輩として、後輩として、二人はお互いの働きぶりを評価している。コンビを組んでから半年。外からみても、この二人は勤労・再建・和解というスローガンを共有し、しっくりと行っているように見える。「最初はぎこちなかったが、ソロは飲み込みが速く、すぐにワタラ流に適応した。彼はワタラと同じく、機敏で、実際的で、重要事項に着手する能力があることを証明した」と大臣の一人はコメントする。

大統領は経済政策と外交を、首相は防衛と安全保障を担当という役割分担もきちんと出来ている。そして、経済活動は再開し、役所は機能し、治安も回復…と、すでに成果を挙げている。共和国軍(FRCI)に関する山積みの課題はまだ片付いていないが…。
法治国家を再建し、北部の二重経済を終わらせたいワタラ大統領は、長年ソロを支持してきたComzoneの武将たちの動きを心配している。「ワタラを権力に助けてやったのは自分たちだ」と幅を利かせる彼らを慎重に扱わなければならないことをソロは知っている。

二人の経歴だけみれば、彼らが上手くいく保証などどこにも無かった。ワタラは69歳で、ソロ(39)の父親でもおかしくない年齢であり、一方はマリンケ族のムスリム、もう一方はセヌフォ族のカトリック。前者はIMFBCEAO、首相を経験した経済の専門家で「理想の大統領」としてのプロフィールを国際社会も認めている。後者は、学生運動あがりの武力によって権力を手にしたやり手の政治家であり、それゆえに警戒もされている。ワタラは友人であるフランスにNOを言いにくいが、ソロはずばりと言ってのける。

もともとソロはバグボ寄りだった。ソロは1990年代半ばから、コートジボアール学生・生徒連邦(FESCI)のリーダーを務めていたが、1998年にバグボがFESCIのリーダーにソロの側近ではなく、ベテ族のシャルル・ブレ=グデを選んだことからソロはバグボから遠ざかる。ソロは彼を「イヴォワリテ」の波に乗っているを批判し、英国・フランスに逃れた。留学先のフランスでワタラと親しくなり、2002年にFN(元反乱軍)のリーダーになってからも、二人の親交は続いた。2007年にソロがバグボ政権下の首相になったときに二人の関係は悪化したが、バグボが大統領選後はソロを排除する気であるということを嗅ぎ取ったソロは再びワタラに接近。ソロは自分と自分の陣営の者たちの未来についてワタラと交渉し、すでに2008年の時点でワタラが当選した暁にはFNを国軍に編入するということで合意が出来ていたという。そして2010年の大統領選の前にも二人は秘密裏に接触し、「バグボ後」のシナリオを既に話し合っていた。

ブルキナ大統領ブレーズ・コンパオレの存在もソロ・ワタラ同盟に関係している。彼はソロとは10年、ワタラとは30年来の付き合いで、それぞれを息子・兄弟として扱っている。ブルキナファソといえば、植民地時代からカカオ王国コートジボアールへ300万人を超える出稼者を送り出してきた。コンパオレにとって、そのウフエボワニ時代の発展を呼び戻すことが出来るのはワタラなのだ。それで、二人が対立した時には間に入って仲介し、サポートしてきた。Comzoneを国際刑事裁判所に送るぞと脅しをかけることをやめるようにワタラに忠告したのもコンパオレだ。

コンパオレにとってもワタラにとっても、ソロは将来への賭けである。ソロには、ワタラ政権の原動力としてよい働きをすることが求められている。それによってコートジボアール再建の立役者としてワタラ自身も、そして後継者としてのソロの将来も約束される。ワタラは、大統領選で連合を組んだ協力者・ベディエを首相に迎えるか、重要ポストを与える義理を背負っているが、憲法を改正して副大統領というポストを新たに作り、ソロを手放さずにベディエを首相に迎えるという可能性も考えられる。

アラサン・ワタラ(Alassane OUATTARA)
69歳、イスラム教徒、経済学修士(ペンシルヴァニア大学)IMF副代表、西アフリカ諸国中央銀行(BCEAO)総裁などを歴任。48歳で首相を経験。

ギヨーム・ソロ(Guillaume SORO)
39歳、キリスト教徒、英語学士(アビジャン大学)。元学生運動のリーダー。35歳で首相を経験。

*この記事は以下の『Jeune Afrique』誌の記事を日本語で要約したものです。
AIRAULT Pascal & MIEU Baudelaire. « Côte d’Ivoire : Partenaires particuliers ». Jeune Afrique 2655 (du 27 novembre au 3 décembre). p36-39.