2012/02/14

コートジボアール デュンカン外務大臣の外交政策 « Il faut revenir à la philosophie d’Houphouët »


この9ヶ月間で、デュンカン外相(68)は数々の西アフリカ諸国・欧米訪問をこなした。その目的は、西アフリカ地域の安全保障と協力関係を改善し、ドナー国を安心させ、経済外交を推進するというものである。

Jeune Afrique : コートジボアールの新しい外交精神とは?
デュンカン外相: 10年以上に及ぶ内戦・政情不安によってコートジボアールのイメージは傷ついてしまった。殻に閉じこもっているという印象を与えてしまっている。しかし、古くから友好国には我々が建国の父・ウフエボワニ(Félix Houphouët-Boigny、初代大統領)の精神を取り戻していると伝えたい。彼は「コートジボアールは全ての人の友であり、誰の敵でもない」と言い、近隣国をはじめとする世界と平和な関係を保っていた。だから、近隣諸国や地域連合との関係を今一度強化したい。例えば、西アフリカ諸国経済通貨同盟(UEMOAUnion économique et monétaire ouest-africaine)ECOWAS、協商評議会(Conseil de l’entente)、マノ川流域同盟(Union du fleuve Mano)など。

地域の安全保障というのは深刻な課題ですね。
非常に重要な問題だ。だからこそ協商評議会を再開したし、またECOWASが独自に介入できるような軍隊を持つことに我々は賛成している。その姿勢は我々が仏・米といった近代的な軍隊を持つ国との防衛・安全協力(麻薬取引、希少金属取引、テロとの戦い)を推進していることにも現れている。コートジボアール難民の帰還のために、リベリア、ガーナ、トーゴ、ギニア、そして国連高等難民弁務官事務所と合意を結ぶこともした。これによって一番不安定な地域、特に東部と西部の安全を取り戻すことが出来るだろう。

経済外交における重要事項はなんですか。
現代の外交は多角的で経済的要素が多く含まれる。我々の野望は2025年までに新興国の仲間入りを果たすことだ。そこでフランスをはじめとするヨーロッパ諸国やアメリカとの関係を強化するのは当然であり、同時に中国、韓国、ブラジル、インドなど新興国とも関係を築いていく。地下資源の開発、産業化、交通、低所得者住宅など、協業の可能性はたくさんある。
また、わが国の名誉領事ネットワークを拡大し、ブリュッセル、パリ、ワシントンへの経済ミッションに予算を与える。近く南アにも経済ミッションを開設する予定だ。目的は海外投資を呼び込むこと。カーボンファンドや持続的開発ファンドなど新しい可能性にもトライしている。さらに、今後はディアスポラの帰国推進、外交政策学院の設立なども検討している。

西アフリカ地域の統合についてはどうお考えですか。
我々は再び西アフリカ地域の原動力になりたいと願っている。アビジャン・アクラ・ワガドゥグをつなぐ道路網、発電所、鉄道網など地域統合事業を強化したい。ナイジェリア、ブルキナファソとの二国間委員会(大臣間の合同委員会)も再開した。西アフリカは世界で20番目の経済力を持っている。我々が地域統合に成功すれば、投資がどんどん舞い込むだろう。

この記事は以下のJeune Afrique誌の記事を日本語で要約したものです。 
Source : AIRAULT, Pascal. Daniel Kablan Duncan « Il faut revenir à la philosophie d’Houphouët ». Jeune Afrique 2665 du 5 au 11 février 2012. p69.

2012/02/11

コートジボアール ワタラ政権その後 Politique : Et maintenant?


<これまでの経緯>
長年の政情不安・国内分裂状態に終止符を打つはずだった2010年の大統領選挙。928日に現職バグボ大統領(当時)とワタラ元首相との間で決選投票が行われた。122日、選挙管理委員会は僅差でワタラの勝利を発表。しかし翌日この開票結果を憲法院が無効とし、バグボを勝者と発表した。バグボは国際社会からの非難をよそに大統領の座にとどまり続けた。交渉では状況が打開できず、20112月に戦闘勃発。アビジャンでの戦闘を経て、411日バグボ夫妻が逮捕された。521日ワタラ大統領が正式に就任し、内閣発足。1211日議会総選挙実施。

2010年の大統領選に至までの経緯はここでは割愛しますが、この辺の政治駆け引きは岡村前大使 のブログに詳しいのでご参照ください。
http://blog.goo.ne.jp/zoge1

---------------------------------------------------------------

ワタラ大統領は就任から9ヶ月たった現在、全ての事業の前線に立って陣頭指揮をとっている。201112月の総選挙で証明された大きすぎる存在感が、ひいては公共事業と和解をスピードダウンさせる恐れがある。

こんな小話がある。ある大臣が朝7時に出勤すると、まだオフィスの鍵が閉まっている。さあ大変、オフィスの電話が今にも鳴るのではないか。大統領は内閣のメンバーが寝坊せずに出勤してるか頻繁にチェックしているから。大臣はハラハラしながら鍵を持っているはずの門番を探す…。ワタラ政権にとって、いかにコミュニケーションが重要かということが表れているエピソードである。

ワタラ大統領は数々の大統領令や法令を発して、9ヶ月で国家体制を整えた。彼の緊急政策が水道・電気網と医療・社会インフラを復活させ、公務員は朝7時半には出勤するようになった。大統領自身は西アフリカ諸国・欧州・米国を訪問しては各国との関係を築き、財政支援を求めている。20202030年度開発計画には、コートジボアールのGDP2020年までに500億ドル(380億ユーロ)まで倍増させる野望がこめられている。この賭けに勝つには、大量の投資と、175億ユーロに上る国家開発計画予算の財源が必要だ。
野党はこの政治運営を非民主主義的だと批判している。(ワタラ派が多数を占める)議会での議論の不在、政治・軍事・ビジネスに影響力のある一部の人間がおいしい公共事業と権力を分け合っている構図…。

2000年以来はじめてとなった昨年12月の議会総選挙。ワタラの与党RDR255議席中127議席、連立与党PDCI77議席を獲得して多数派となり、大統領府の意向が通りやすくなった。20121月、ワタラは部下たちを激励すると共に、もっと事業をスピードアップさせるよう発破をかけた。目下のプライオリティーは若年層の雇用だ。大学は2012年度は工事のため学生を受け入れないことになっており、これが35歳以下の失業者600万人に加わる。社会不満はすぐにでも爆発しかねない。これが、ワタラ大統領が大型公共事業を急ぐ理由でもある。2012年の歳出は6200FCFA。「この予算はすべての人に職を与えるには足りないが、一般企業がリスクをとってでも若者を雇用していかなくてはならない」と官房の一人。その代わり政府は業者への支払いを迅速に行い、研修の再開、商業裁判所の設置、また中小企業をサポートすることでビジネス環境を整えていく、という。

もうひとつの大きな課題は治安回復だ。2011年末、元反乱軍(FN)はコートジボアール共和国軍(FRCI)の一員になった。しかし彼の一部の横暴は目に余るもので、痺れを切らしたワタラは、担当のソロ首相兼防衛相の手からこの件を引取り、自らが直接仕切ることにした。全ての参謀長を招集して、Zakaria Koné氏を新しい憲兵隊の長に指名。この憲兵隊は、頑固な元反乱軍を統率するための特別部隊である。この後には、2007年ワガドゥグ合意で約束された軍隊再編が待っている。

もしワタラが治安を回復し、雇用を創出することに成功すれば、バグボ派からも評価されるだろう。しかし、真の和解は遠い。対話・真実・和解委員会(CDVR)が設置されたもののバグボが国際刑事裁判所送りになったことが和解を難しくしている。FPI(コートジボアール愛国戦線、バグボ派)との対話は失敗に終わり、彼らは結局12月の議会総選挙をボイコットしてしまった。
ワタラが賭けに勝つためには、バグボ派の人間にも手を差し伸べる必要がある。政府や国営企業の代表には、今のところ、(支持に報いるために)ワタラ陣営の人間が任命される例が多い。一方、バグボ前政権の重要人物17人は未だに拘束状態にある。和解の一歩となるかもしれない彼らの裁判も進んでいない。2010年の選挙でバグボに投票したというアビジャン在住の若者は語る。「和解の準備は出来ている。でも、僕らが望むのは真実、そして両陣営に対する平等な裁きだ」。

*この記事は以下のJeune Afrique誌の記事を日本語で要約したものです。
Source : AIRAULT, Pascal. Politique : Et maintenant? Jeune Afrique 2665 du 5 au 11 février 2012. p62-64.

2012/02/10

セネガル ワッド、すべての反対を押し切ってでも Wade, envers et contre tout


<これまでの経緯>
226日に大統領選挙を控えたセネガルでは、三期目を目指す現職ワッド大統領の立候補が非難を呼んでいる。2000年に初当選したワッドは、翌年自らが行った憲法改正で大統領の三選を禁止したにもかかわらず、85歳という高齢で三回目の立候補を表明した。大統領選候補者の資格を審議する憲法院は127日、ワッドの立候補を正当という決定を下した。一方歌手ユッスー・ンドゥールの立候補は却下された。17人の立候補者のうち14人の立候補が正当と判断され、各候補は25日から選挙キャンペーンに突入した。


226日の大統領選まで1ヶ月を切ったセネガルはワッドとその対立候補たちの混迷したレースに突入している。127日、憲法院の5人の審議官は全会一致でワッドの立候補を正当とする決断を下した。ワッドは2000年に初当選(任期7)2007年に再選(任期5)している。2001年の憲法改正では大統領の三選を禁止しているが、憲法院はワッドの一期目はこれにはカウントされないと判断したようだ。当然ながら野党はこの憲法院の判断を強く批判。程なくして暴動に火がついた。

ワッドは2000年に当選した際、大統領の任期を二期までに制限することを誓い、2007年に再選した際には「もう再び立候補することはない。憲法でそう決められたから」と宣言していた。
高齢も問題だ。ワッド自身は「体力的にも精神的にも全く問題ない」と宣言しているが、毎朝4時に起きて朝の運動を欠かさず行い、夜遅くまで会議をはしごする姿はまさに「ポリティカル・アニマル」。特にここ2ヶ月のスケジュールは過密だ。(聖地である)トゥーバとティバワンを訪問して宗教界の取り込みを図り、地方での式典に参加し、事の成り行きに不安を抱く各国の外交官の面会に応じ。「ワッドはダメだよ、もう85歳なんだから!」という国民からの批判は絶えないが、人間とは頑固なもの。ワッド陣営は国外からの批判に対しても、「民主主義は脅かされていない」「内政干渉はしないでくれ」と突っぱねている。

ワッド陣営は自らの優勢を知っているのだ。票を大きく左右すると見られる宗教界の指導者は中立を保ちながらも、怒りを爆発させる野党関係者に憲法院の決定を受け入れるように促している。ワッドにとって有利なのは、野党勢力が分裂しているという事実、そしてM23 (ワッドの立候補に反対する市民運動「623日運動」)の矛盾だ。
それまで一致団結してきた反ワッド勢力は、今ではばらばらになってしまった。極小政党は影響力のある候補者たちが非協力的だと主張し、有力候補を抱える大きめの野党は極小の「アナーキスト、暴徒」が選挙プロセスを邪魔しているという。Idrissa Seck, Macky Sall, Moustapha Niasse, Ousmane Tanor Diengなどの有力候補者たちは既に多額の資金を選挙活動に投入してきたので、それを犠牲にしたくないのだ。
過激化する候補者がいる一方で、国家の指導者としての穏便なイメージを保ちたい候補者もいる。「ワッドが決して立候補を取り下げないだろう。彼はそういう奴だ。だから今更『ワッドのいない選挙を』なんて息巻いても意味がない。我々は彼に対抗するすべはないんだ」と野党関係者の一人はため息を付く。

野党側はワッドが選挙に参加すれば投票は公正に行われず、結局はワッドが勝つことになると信じている。与党側はその可能性を強く否定しているが。ワッド政権で外相を務めたが今は反ワッドに回っているGadio候補は、「『憲法クーデタ』の次にくる『選挙クーデタ』を回避するために我々は戦わなくてはならない。ワッドの選挙活動を妨害し、政権交代を迫らなければ」と主張する。
一方、M23の候補者は、「選挙前にワッドを退けるのは無理」と見る。過去、前ジウフ大統領は1988年と1993年の投票の後、野党の怒りを静めるために議会解散に踏み切ったことがある。そのときと同じような状況を作り出すために、国際世論に警告を発信し続け、投票後、(反対運動を盛り上げて)国家権力が機能しないようにもって行くしかない。「そうやって初めてワッドが身を退くという合意が出来る」と分析する。

大統領府によく出入りをしているというある人物は「ワッドはサプライズを用意している。選挙で勝利を収め、23年だけ任期をつとめた後に若い世代のリーダーへの禅譲を果たすというものだ。Macky Sallか、ダカール市長Khalifa Sallなど彼が一目置いている人物に」ともらす。確かにワッドは「(自分が始めた大事業の)工事を終わらせるのにまだ3年は必要だ」とあるインタビューでコメントしていた。
しかし、反対派にとって3年間は長すぎというのが本音だ。226日の選挙まですら待てないという人もいるのだから。

*この記事は以下のJeune Afrique誌の記事を日本語で要約したものです。
Source : CARAYOL, Rémi. Sénégal : Wade, envers et contre tout. Jeune Afrique 2665 du 5 au 11 février 2012. p32-34.

2012/02/09

ギニア 眠れる鉱床 Des gisements en sommeil


ギニアにはボーキサイト、鉄鉱石、金が豊富に眠るが、有効活用できておらず、改革は中途半端、ライセンスは凍結され、鉱業法は現実に則していない。コンデ大統領の課題は山積みだ。

ギニアでは201012月にコンデ大統領が就任し、それまでの3年間の政情不安に幕がおろされた。鉱業関連企業各社は長年忘れ去られていたギニアのボーキサイト(世界の埋蔵量の3分の2を占める)、鉄鉱石、金資源の開発可能性に沸き立った。

しかしその1年後、ギニアに対する熱意は急速にしぼんでしまった。「鉱業セクター、特にインフラに関する政府の方針が未だに明確に示されていないのは困りものだ。ライセンス付与に関しても透明・公平に行われることを期待している」と語るのは世銀で鉱業セクターを担当するバクム氏(Boubacar Bocoum)GAC*代表のヤヤ氏(Mamady Yaya)は、50年以上眠っていた、シマンドゥのような大鉱床の開発は待ったなしなのに、改革は中途半端で、投資家に不信感を与えただけで終わっている。ギニアにすでに進出している鉱業関連企業各社は待ちぼうけをくらっており、他の企業はギニアを避けるようになってしまった」とコメントする。

同氏によれば、「既存のルールを適用しようとするフォファナ鉱業大臣(Lamine Fofana)と、改革を企画するカンテ大統領官房(Ahmed Kante)という、異なる意見をもつ2人の中心人物が存在することが問題」であり、「実際にはフォファナ大臣の影響力はほとんどない。彼は大統領府の決断を待たなくてはならないから。その間、企業は何も答えが得られていないし、新しいライセンスの付与は凍結状態だ。全てが行き詰っている」と不満をぶつける。
カンテ官房は20072008年にコンテ元大統領政権下で大臣を務め、特に2007年の鉱業セクターのストライキの際には鉱業企業関係者と対立した人物。一方のフォファナ大臣は、首相府の鉱業担当で、前任のティアム前鉱業大臣(Mahmoud Thiam20072011)に近い。

新しい鉱業法は201199日に議会で可決された。この法律は手続きを簡素化し、政府の役割を大きくする(ギニア政府が案件の15%無償キックバックを得られる)はずのものだった。しかし「鉱業法の中にはギニアの法律に反する矛盾した箇所が複数ある。法律家にとっては悪夢だ」とある弁護士は語る。「鉱業法はカンテ官房のチームによる突貫工事で作られたもので、鉱業関連企業各社からの意見をきくことをしなかった」と鉱業会議所の元副代表であったヤヤGAC代表は憤る。彼にとっては、前の鉱業法(1995年版)はそんなに悪いものではなく、もっと時間を掛けて法案を練ればよかったのに、とコメントしている。

コンデ大統領は、問題の重大さを認識しており、12月末には2012年の目標として大型案件の契約見直しを進めることを明言している。

(*GAC=Guinea Alumina CorporationGlobal AluminaBHPビリトン、Dubai Aluminumのコンソーシアム)

この記事は以下のJeune Afrique 誌の記事を日本語で要約したものです。
LE BEC, Christophe. Guinée : Des gisements en sommeil. Jeune Afrique 2664 du 24 janvier au 4 février 2012. p118.