2012/01/01

ギニア コンデ大統領インタビュー 2011年5月

「過去50年間民主主義のために戦ってきた私に、誰が指図できるだろうか」

アルファ・コンデ(73)は半世紀にわたって野党で戦ってきた後に大統領の座を手に入れた。朝6時に起きて、真夜中に就寝する彼は食事もそこそこに、いつも3台の携帯電話を持ち歩いて、一見細かすぎとも思える業務もこなしている。
アジア米の輸入がその例で、次にコナクリに着くコンテナの値段を彼自身が交渉している:「アジア米は大歓迎だがビルマ米だけはノーだ。あの国の軍人は良くない」。それだけでなく、水と電気の配分、公用車の銘柄、宗教指導者からギニア・フランの両替商、そして特に大臣一人一人の仕事を入念にチェックしている。「先生」「アルファ兄さん」と呼ばれる彼は、圧倒的な情報網と聞く力を持っている。長年の戦い―かつては死刑判決を受け刑務所生活を送った―で傷ついた体を労わる間もなく、すべての問題に関する決定権を自らに集中させている。
201011月に52.5%の得票で当選してからまだ5ヶ月。「確かに私はすべての問題の前線に立っているが、すべてを一から再建する必要があるのだ」とコンデ大統領はコメントする。
ギニアの発展は50年前からほんの少ししか進んでいない。民族対立と暴力と汚職にまみれてきたこの国では民主主義、人権、グッド・ガバナンスといった考え方はまだ新しい。そんな中でアルファ・コンデは孤高に、堂々と戦いを挑んでいる。

JA:ギニアが今のような状況になると想像していましたか
コンデ:少しは覚悟していたが、正直ここまで被害がひどいとは。2009年から2010年の間に締結された契約金額は全て水増し、ひどいものは2倍水増しされていた。ギニア中央銀行は当時の政権に多額の前貸しをしたために破綻寸前だった。出回った偽札を探知する手段もない。被害は甚大だ。

過去5ヶ月間、どのような改善策をとりましたか。
第一に、国家の出納管理を財務大臣のもとに統一した。以前は、港、鉱業、道路など独立した機関が出納管理を行っていて汚職の温床となっていた。
第二に、中央銀行は収入なしに国庫に前貸しをしないようにした。第三に、過去との決別。財務赤字を劇的に減らし、ギニアにとって非常に不利な鉱業法を改正し、闇両替商の撤廃すること。実現しますよ。ここでは大転換がた当たり前ですから。

どうやってValeRio Tintoなど、大きな鉱業契約変更の交渉に成功できたのですか。
簡単だ。Rio Tinto2010年、ギニア政府に何の通告もなしに47%の株式を中国アルミ(Chinalco)に売却した。これは鉱業法に反する。そしてコンセッション期限も20102月に切れていた。だから我々はRio Tintoに対し、700百万ドルの損害賠償と、株式15%の無条件譲与と20%の購入(35)を求めたまでだ。このようなケースはおそらくアフリカで初めてだろう。今までは、鉱業会社も袖の下さえ渡せば思い通りに交渉を誘導でき、そういうやり方に慣れていた。しかし今後はそうはいかない。今進んでいる鉱業法の改正が7月頃までに済んだ暁には、Rusalや他の会社とも交渉を行うつもりだ。鉱業法には汚職に関する条項も盛り込む。汚職をした会社には、多額の罰金が科せられ、ひどい場合には契約取り消しとなる、と。

中国はアンゴラとコンゴ民主に対して超低金利の大量融資をしてマイニング・コンセッションを得ています。こういう近道には興味がないのですか。
全くないね。

あなたは過去の政権の監査を行って、公共財産を横領した者を訴えると公約しました。どこまで進んでいますか。
決して魔女狩りではないが、事実を徹底的に明らかにしたい。容疑者は司法の裁きを受けるだろう。監査は我々が権力の座に着く前に行われ、一部は現在進行中だ。残りは全て取り返すことに決めた。国の所有する土地、不動産を横領した過去の大臣たちはもちろん、開発援助を掠め取った商人たちもね。彼らは法の元に裁かれ、賠償することになる。

あなたが商人たちを非難するとき、プル族のコミュニティ*は、あなたがプル族を差別しているという印象を受けています。
それは間違いだ。私が非難しているのは、米や小麦などの輸入を独占している一部の商人だけだ。プル族を一概にまとめて非難しているわけでは決してない。独占状態は解消されなくてはならない。私はプル族やレバノン人の商人、農民、職人にはっきり伝えた。新しいギニアにおいて、特権というのものは存在しない、皆が法の下に平等である、と。
(*訳注:商人の多くはプル族出身)

国に債務を負っている人々の債務額ワースト40人のリストを公開しました。これは訴追につながるものですか。
ノーだ。このリストを公開する前に、対象となりうる多額債務者には1ヶ月の猶予を与えて債務返済計画を出させた。これらの者はリストに含まれていない。リストに載っているのは、この国を横領した輩だ。自分の意思でね。

そのリストのトップに立っているのは実業家のママドゥ・シラで、2010年の大統領選であなたを支持した一人です。彼は驚いたのでは…
このリストは私が個人的に作成したものではなく、監査を担当した大臣だ。私は単に、リストに誰の名前が載っていようと、ありのままに公表しなさいという指示を出しただけだ。私は選挙期間中、必要な監査はすべてやると公約した。国民の利益を考えれば、私を支持者だからという理由で擁護することはできない。

あなたを大統領の座に導いた「虹の連合」はうまくいっていないように見えます。ママドゥ・シラや、ランサナ・クヤテ、カソリ・フォファナは十分に見返りを得ていない。そのことに問題を感じていますか。
私には関係のないことだ。私はただ選出された大統領として政策を進めている。縁故主義や民族主義は私のやり方ではない。私のやり方に賛成するものは私についてきてくれている。私は政治家に対してではなく、国民に対して責任を果たしている。

しかしながら、あなたは2010年の大統領選でその民族主義を利用したと非難されています。「とにかくプル族以外の候補を大統領に」と…。
よく聞きなさい。私は長年「在仏ブラックアフリカ学生連合」の書記長を務めてきた。アフリカの統合のために戦ってきたのだ。誰が民族主義的な選挙活動を行った?「次こそ我々プル族が国を治める番だ」と訴えたのは(対立候補の)セル・ダレン・ジアロの方だ。多くのプル族の指導者たちが私を支持してくれている。私と同じマリンケ族のセク・トゥレ(初代大統領)に対しても、スースー族であるランサナ・コンテ(前大統領)に対しても私は戦ってきた。私の戦いは特定の民族に対するものではなく、この国のグッド・ガバナンスのための戦いだったのだ。

セル・ダレン・ジアロ氏は選挙結果を受け入れたものの、選挙は公平ではなかったと主張し、あなたとは決して協力しないと述べています。そのことに関して問題を感じていますか。
ノーだ。なぜなら問題は彼ではなく、水、電気、貧困、食糧自給率など、重要な問題ばかりだからだ。彼がダカールから何をどう言おうと私には関係ない。

彼が43日コナクリに一時帰国した際、彼の支持者と治安部隊の間で、衝突がありました。
彼らは当初申請していたルートを勝手に変えてデモを行った。ギニアは法治国家になったのだから、それに従わなくてはならない。投石行為、破壊行為、無政府状態はいい加減もう終わりだ!

511日、ジアロ氏の自宅が彼の不在中に、大統領官邸の警護団によって家宅捜索されました。なぜですか。
ご存知のとおり、一部のギニア人はよく嘘をつく。家宅捜索などなかった。あったのは、ジアロ氏の警護団の内部のいざこざだ。メディアでささやかれているのはすべて噂話だ。

それでもあなたは、噂が広まったときに反応されることがありますよね、例えば最近の南ア訪問は手術を受けるためだった、とか…
たまにね。そういう噂は呪術師にお金を積んで私を呪おうとしている人たちにとっては喜ばしいんだろうね。でも南アはズマ大統領の招きに応じて訪問しただけで、そこから一週間でトルコ、ドバイ、アブダビを訪問した。投資先としてのギニアをアピールするために。私は帰国後すぐに記者会見をしたが、病人にしてはぴんぴんしていなかったかね?

総選挙はいつ行われるのですか?あまり急いでいるようには見えませんが。20101月のワガドゥグ合意では大統領選実施後、6ヶ月以内に行うことになっていました。もうその期限が切れていますが、どうして遅れているのでしょうか。
2011年の11月頃に実施する予定だ。しかし、できるだけ皆が納得する選挙にしなくてはならない。そのためには選挙人口の国勢調査を行い、農民(徴税を免れたいために選挙登録に否定的)が選挙登録できるようにしなくてはならない。時間をかけて、すべてのギニア国民が参加でき、不正を最小限に抑えられる選挙を目指そうではないか。登録の重複を防ぐために、選挙証と国民IDも発行する。これだけは明らかだ:私は50年間、この国の民主主義のために戦ってきた。それをないがしろにしていた輩に私に指図する資格はない。私は強大な資金源を持つ陣営を打ち負かして大統領に当選した。民主主義は屈しないということを私は体現しているのだ。

あなたは大統領でありながら防衛大臣もつとめています。この国の軍隊には四半世紀にわたって悪い習慣が根付いてしまっていますが、どう対処していますか。
私はギニア国軍を誇りに思っている。彼らがもはや街で横を働くようなことはなくなったし、重火器は内陸部に追いやった。一部の将校には開発分野で活躍してもらうプログラムが進行中だ。今日のギニア軍の問題は、もはや彼らの行動ではなく、組織にある。一般兵より下士官が多いのは問題だ。中には1950年代から軍隊にいる人もいる。退職を推奨する手段を講じなくては。国民は軍隊を恐れている。急には無理でも、軍隊は民主主義こそ最良のものだということを自覚し、尊敬され、愛される存在にならなくてはならない。

前任者であるセクバ・コナテ将軍とはどういう関係にあるのですか。
彼と争うことは何もない。彼がギニアを選挙に導いたことは常に感謝している。確かに政権運営に関しては、至らないところがあったかもしれないが、彼は首相ではない。それに彼はいつも「自分は経済のことには疎い。書類にサインはするが、あとは私の後任に説明してほしい」と言っていた。だから私は鉱業のことも汚職のことも、彼に責任があると非難するつもりはない。非難されるべきは、彼を利用した輩だ。

あなたはダディス・カマラ大尉と何回か面会しています。最近だと47日にワガドゥグで会っています。彼は帰国を望んでいますが、あなたはそれを嫌がっています。なぜですか。
彼はそんな要望はしていないし、私には何も問題ない。ごく少数の人間がダディスの帰還を望んでいるが、それに対して彼自身がなんと言ったと思う?「彼らを逮捕するべきだ、彼らは私の意に反して私を担ぎ上げてるだけだ」

ダディス・カマラは2009928日の大虐殺の責任者として、国際刑事裁判所に訴えられる可能性がありますが、あなたにとっては悩みの種ですね。
この問題に関して知りたい人は、柔軟にならなくてはならない。ギニアは27年間の軍事政権から抜け出したばかりのもろい国だ。うかつな発言は禁物だ。以前から公約してあるとおり、時期がくれば「真実と和解委員会」を組織する予定だ。でもその前に、国民すべてが聞く耳をもち、他者を許す用意がなくてはならない。そのために宗教界が県レベルで啓蒙活動を行っている。928日の事件だけではない。セク・トゥレ(初代大統領による迫害)や他の事件にも対処していかなくてはならない。和解がなされなければ、この国は憎しみで分断されてしまうだろう。

ギニア・フランが下落しています。コンパオレ(ブルキナ大統領)やトゥレ(マリ大統領)はギニアがCFAフラン圏に入ることを勧めています。
それは非常にデリケートな問題だ。目下の課題は経済を立て直して、ギニア・フランの価値を取り戻すことだ。

CFAフラン圏に入る可能性も排除はしないということですね。
私は緊急の課題から着手するのであって、それが解決されてから他の課題のことを考えることにしている。

ギニア・フランはギニアの家宝のようなものですが、今ではその輝きを失いつつありますね。
通貨は全ての国民に関わる問題だ。国内で議論を尽くし、国民によって決断されなければならないだろう。

コナクリ港・コンテナターミナルのコンセッションがBolloréに与えられた件が議論を呼んでいます。同社に実質上の独占を許したという批判がありますが。
それは間違いだ。コナクリ港がBolloréと結んだのは港の運営に関する技術協力協定だが、運輸省には連絡がなかった。それが発覚した後、協定は直ちにキャンセルされた。Bolloréが関与しているのはコンテナと鉄道と一部のオペレーションだけだ。

ギニアが貧困から脱し、食糧自給に達するために5年間の期限を定めました。少々野望的では?
この国の最も優れた開発計画は1955年にすでに存在していた。当時のフランス人総督ロラン・プレによる、ギニアを穀物庫にする計画だ。その後は見捨てられてしまったが、実現可能な計画だ。国が農民を支援することによって食糧自給を実現し、その後は輸出に回す。農民を指導してくれるのなら、外国資本は大歓迎だ。ただ我々はマダガスカルのように国土を売ることはしないので注意してもらいたい。

どのようにしてギニアを無政府状態から復帰させるのですか。
確かに困難はあるが、ギニアは国家として日々生まれ変わっている。コナクリ空港を例にとればいい。以前は麻薬などの取引と恐喝が日常茶飯事だったが、いまでは秩序が保たれている。麻薬取引の組織犯罪もそうだ。以前はギニア・ビサウからヘリコプターで麻薬が持ち込まれていたが、米仏の協力のおかげで大統領府直轄の麻薬取締り部隊が機能している。また、国際機関に対する未払い金や国外のギニア大使館にも支払いを始めている。在外ギニア大使館が料金滞納のせいで電気・水道を止められては、面子丸つぶれだからね。

あなたは全ての問題を自分自身で解決しようとしています。そんな状態ではすぐに疲れきってしまうのでは?
今のところ他に選択肢がない。もちろん首相と内閣はいて仕事をしてくれているが、悪い習慣が残っているので、結局私が全てチェックしなくてはならない。私はひとつの汚職も許しはしないからね。確かに疲れるが、私以外の誰がこの習慣撲滅の戦いを指導できる?私が管理しているのは、特別なギニア人ではなく、普通のギニア人なのだから。

あなたはコートジボアールとリビアの混乱について「武力行使をせず、アフリカ人による解決に賛成だ」と言いましたね。
リビアについては、国民の議論を経た休戦を、というAUと同じ立場だ。コートジボアールでは、選挙で選ばれたワタラ大統領の就任が、アフリカ人の手だけによってもたらされたものであれば良かったのに。リビアにせよ、コートジボアールにせよ、アフリカ人たちが自分自身で問題を解決できない現状は憂慮に値する。

ロラン・バグボ(前コートジボアール大統領)が逮捕された映像はショッキングでしたか?
それについてはノーコメントだ。

あなたはよく「ギニアは帰ってきた」という表現を使いますね。コートジボアールもそうですが。
私は他者とは比較しないことにしている。明らかなのは、1950年、ギニアも他の国もまだフランスの植民地だった時点では、ギニアは一番将来有望な国だったということだ。これまではその有望な資源を活用するすべを知らなかったが、資源は今もここにある。

皆が知っているように、あなたは金儲けには興味がない人です。しかしながら、あなたの一族が不当に利益を得ないようどのような方策を講じているのですか。
家族の存在はリスクであり、他の多くの国家元首にとってもアキレス腱(弱点)であるということは十分承知している。ギニア国民は全員知っている通り、妻と私は、違う家に住んでいる。彼女はカンカンのマリンケ族の豪商の出身で、当然多くの人が彼女の家を出入りしている。私はプル族の商人がマリンケ族の商人に取って代わられたと言われるのは嫌だ。はっきり言えば、私の家ではアポイントのない訪問者は受け付けないし、その中にビジネスマンは含まれていない。

誘惑と影響を防ぐためにはそれで十分なのですか。
もっとはっきり言ったほうがいいかね?妻には政治もビジネスもやるなと禁止してある。もし仮に彼女が特権のようなものを求めてくれば、その場で離婚する。それを彼女自身も、他の者たちもはっきりわかっているはずだ。

それでも、噂ではあなたの息子モハメドはいくつかの経済プロジェクトに関わっているとか…
それは間違いだ。息子はビジネスマンでもなければ企業家でもない。彼はアメリカで教育を受け、ブラジルとロンドンで働いていた。私の弟()の死後にギニアに帰国して手伝ってくれている。私は英語が苦手だから、英語堪能な息子に通訳として、また、我が友・南アのズマ大統領による国際協力関連の仕事を手伝ってもらっている。うちの一族にはビジネスマンはいないし、誰にも私の代理としての権限を与えていない。私腹を肥やすだけの政治はもう終わりだ。私は自ら投資家たちと交渉するが、彼らも私が汚職には屈しないということをわかっている。

5年後にはギニアはどのような国になっていますか。
独立に成功していたらなっていたはずの姿になるだろう。鉄道、道路、ダム、低所得者向け住宅…。汚職ではなく働くことによって利益が得られる新しいギニア人による新しいギニアに。虚言、嫉妬、コンプレックスから解放された誇り高きギニアに。神の助けと世代交代、在外ギニア人の帰国によって少しずつ着実に実現されるだろう。

夢のような話では?
夢見る者が世界を前進させるのだ。

最近読んだ本は?
おとといアブダビからの帰りに飛行機の中で読んだ本があるが、名前は伏せておく。

どうしてですか?
少しくらい秘密があったってよかろう。

オフレコでも?
ジャーナリストの言うオフレコなんてあてにならないと、とっくの昔から知れているじゃないか。

*この記事は以下のJeune Afrique誌の記事を日本語で要約したものです。
Source: SOUDAN, François. Grand angle : Alpha Condé « Pendant cinquante ans, je me suis battu pour la démocratie. Qui oserait me donner des leçons? » Jeune Afrique 2628 (du 22 au 28 mai 2011). p22-29.

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