ワッド大統領の成し遂げた事業で20年後に残っているものは?アフリカ・ルネサンスの像だろうと野党は皮肉る。この像は、大事業を成し遂げ歴史に名を残したいというワッドの野望を体現しているものの、セネガル国民のためには何一つ役に立っていない事業だ。北朝鮮によって作られたこの像は、観光客からは無視され、「この国には他にやるべきことが山ほどあるのに」と地元の評判もすこぶる悪い。
それでもワッドは12年の任期の間にセネガルを大きく変えた。2000年から2010年の経済成長率はプラス4%で1990年代よりも高く、インフレは抑えられ、歳入は増えた。小中学校や保健所の数は目覚しく増え、水へのアクセス、乳幼児死亡率は改善した。中東・アジア諸国などドナーの多様化も進んだ。
コルニッシュ通りとそこに並ぶ高級ホテル、ドバイ資本の入ったダカール港、高速道路、新空港の建設…。セネガルを西アフリカ地域のハブに仕立てあげたワッドの功績は、野党も認めざるを得ない。しかしながら、「アスファルトは食べられない」というのもまた事実。失業率は依然として高く、その日暮らしの人は多い。2000年の大統領選で、希望と職を求めていた当時の若者たちはワッドに投票したが、その後状況は改善されなかった。停電の頻発は彼らの怒りを増徴させ、かつてワッドを勝利に導いた「Sopi (変化)」というキャッチフレーズはもはや通用しなくなった。
30年間ワッドに付き添い、大臣を歴任したが今は反対派に回っているAminata Tall女史は「以前は対話を好み、支持者に耳を傾け、正義心の強い人物だったが、今では、人々の声を聞くどころか、操ることしか考えていない」とワッドを評価する。
大統領府では、おべっかや汚職は日常茶飯事となり、側近の一人は、「ワッドは何でも金で買えると思っている。セネガル人は金しか信用しないと思っているんだ」ともらす。ダカールはきらびやかなコルニッシュ通りの億万長者と、洪水にさらされその日暮らしを強いられる貧しい郊外の住民とに二分されてしまった。
息子に大統領の座を禅譲しようとしている動きも非難の的になっている。「ワッドは思い上がっていて、彼の事業を継続しうるのは彼自身か、でなければ息子しかいないと思っているのだ」と支持者の一人はため息を付く。
ある政治学者は、「ワッドはセンゴール(初代大統領)にコンプレックスを抱いている。彼のただひとつの目的は歴史に名を残すことだ」と分析し、「ワッドは自分自身がニエレレやマンデラなどアフリカの偉大な国家元首と同じ類だと思い込んでいる」と米国外交官は記している。昨年6月の憲法改正案に見られるように、なんとしてでも権力を手放したくないという姿勢はますます明らかになってきている。
ワッドへの批判は彼を止めるどころか、かえって勢いづけているようにも見える。もうすぐ86歳とは思えないエネルギーの「闘士」は、違憲と判断されても大統領選に出馬するのだろうか?「セネガルは決して内戦には陥らない」だろうと人々はいうが、そのリスクは否定はできない。Tall女史と同じくワッド政権下で大臣を務めたが今は反対派に回っているCheikh Tidiane Gadio氏は、「彼の立候補は国にとって危険。(立候補の是非を判断する)憲法院の判断がどちらに転んでも国が荒れる恐れがある」と警戒する。
ワッドが任期中に12年間積み上げてきた実績も数日で吹き飛んでしまう恐れがある。それもこれも1月末の憲法院の判断、そして2月26日の選挙の透明性にかかっている。
*この記事は以下の『Jeune Afrique』誌の記事を日本語で要約したものです。
CARAYOL Rémi. Sénégal : Wade à l’heure des comptes. Jeune Afrique du 15 au 21 janvier 2012. p24-27.
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