2012/01/21

セネガル ユッス・ンドゥール、波乱の大統領選出馬へ Youssou Ndour Dans la fosse aux lions

スター歌手のユッス・ンドゥール(Youssou Ndour)が2012年のセネガル大統領選挙に出馬するというニュースは、かつてないほどアフリカと欧米のメディアを騒がせた。2012年の年明け早々の彼の立候補はワッド大統領派からも野党側からも良く思われていない。「歌手のくせに」との批判に対し、彼は「確かに自分は高等教育を受けていないが、大統領はポストでしかなく、職業ではない」反論している。

52歳のユッス・ンドゥールは世界的に売れているスター歌手だが、歌手業よりも「国に尽くすことはもっと重要。人々が変化を求めているときにじっとしてはいられない」と熱意を語る。彼は、日刊紙Observateur、ラジオ局RFMとテレビ局TFMを有し、セネガルでも有数の資産家としても知られる。

彼は選挙に勝てるか?政治評論家は悲観的だ。「決選投票で他の候補の支持に回れば支持基盤拡大に大きく貢献できるだろうが、彼自身が大統領に当選するというのはきわめて難しいだろう」。彼のアピールポイントは、自らの資産の多くをセネガルに投資してきたこと、貧しい家庭に生まれ育ち、自分の手で成功を掴み取った男というイメージだが、彼には政治経験もなければ、彼を支えるブレーン集団もいない。グリオの出身というのもハンディだ。

また彼のファンが必ず彼に投票するかというのは別問題だ。ハイチでは歌手のミシェル・マーティリが大統領に当選したが、セネガルとハイチは歴史的にも大きく異なる。学歴信仰が根強く、「古くから政治の歴史をもち政党が深く根付いている」(政治評論家セネガルにおいては、貧しい家庭出身というのは必ずしもアピールポイントとはいえないのだ。

 *この記事は以下の『Jeune Afrique』誌の記事を日本語で要約したものです。
Rémi CARAYOL. Youssou Ndour Dans la fosse aux lions. Jeune Afrique 2661 (du 8 au 14 janvier 2012). p12.

セネガル 経済政策:成績は「可」 Économie : mention passable


事業の方向性は正しいのだが、ロジスティックと財源がついていかないというのがワッド流にありがちの欠点だ。結果として、事業は不完全に終わってしまう。大統領選を控えた有権者の関心は、果たしてそのワッド流を続けるべきかどうか、だ。

誰のためのインフラか
高速道路、新しい国際空港、コルニッシュ通りダカールの工事は終わることがない。これらのプロジェクトだけでも10億ユーロの予算がかかっているが、ある会計事務所は「他で見られる工事よりも割高」だと評価する。そしてこれらの事業がダカール市内のみの交通事情しか考えていないのであれば、優先順位のつけ方が疑問視されるのは当然だ。実際、人口過密にあえぐ郊外地域はこれらの事業の恩恵をほとんど受けていない。入札の透明性にも疑問符が付く。

ワッドの事業
国民の6割が従事している農業は国民全体の食糧をまかないきれておらず、食糧の輸入が貿易赤字を悪化させている(GDP-16.5)。ワッドはこの問題に着手する熱意を見せて2006年、農業プログラムに6000万ドルをつぎ込んが、結果は出ず、プログラムは忘れ去られた。2008年には、2012年までに食糧自給率100%を目指す別の食糧計画(Goana)が発表され、5.2億ユーロがつぎ込まれたが、4年後の今でもセネガルは米の5分の4を輸入に頼っている。政府の見解では、国内の穀物生産は倍増したというが…。「ワッドの目標は野望的すぎた」とMacky Sall大統領候補に近い経済学者Moubarack Lo氏は分析する。「食料自給率100%は達成できる可能性はあるが、どんなに早くとも2020年以降だろう」。
一方、最近の目玉事業Plan Takkalは電力供給建て直しに貢献した。10億ユーロの大事業はダカール市内の電力供給を確保し、今週には韓国Kepcoによる新発電所建設の契約がサインされた。

国営企業の民営化
セネガル化学産業(ICS)はインドのIffco社に、Sonacos(Suneor、食用油)Advens社に、石油精製公社(SAR)はサウジのBinladinグループにそれぞれ買収され、ワッドはしばしばこれらの国営企業を安値で売り払ったと批判されている。「これらの民営化は透明性と管理に欠けている」と関係者。
Sonacoは民営化されたのに生産は非効率的なままで経営が改善されていない。ICSは買収以降、生産した化学肥料のほとんどがインドに売られ、国内の需要に回ってこなくなった。一方、民営化の成功例として知られるのは1990年代に民営化された電話会社のSonatelで、いまやサブサハラアフリカを代表する優良企業といわれている。

財政の穴
セネガルの財政について、「健全な年もあったが、それ以外は壊滅的だ」と前出の経済学者はまとめる。政府の歳出は過去12年間でGDP20%から28%へ増加した。「GDPと貧困率は実質的に停滞しているので、歳出が増えたにもかかわらず、歳出が有効活用されてこなかった」。IMFは何度も警鐘を鳴らしてきたものの、最近は「国家歳出の管理は改善されてきている」とコメントしている。

*この記事は以下の『Jeune Afrique』誌の記事を日本語で要約したものです。
PAURON Michael. Économie : mention passable. Jeune Afrique du 15 au 21 janvier 2012. p30-31.

セネガル 外交政策:国境なき大統領 Président sans frontières


ワッドは国外でもワッド流を貫いてきた。外交の繊細さなど意に介する風もない。時には勇敢と思われる行動をとってきたが、大体の場合は思慮の足りない無謀に終わっている。
2002年、クーデタ後のコートジボアールでは反乱軍のソロを支持し、2010年の大統領選前にはワタラ支持をあからさまに表明してバグボ(当時大統領)の怒りを買った。
「いつも民主主義のお手本を見せたがり、自分ひとりで動きたがり、それが問題をさらにややこしくする」というのがワッドの欠点だと西アフリカの外交官は分析する。ギニア、マダガスカル、ニジェールへの介入がその例だ。

200812月のギニアのクーデタで、ワッドはいち早くダディス・カマラ大尉の軍事政権を支持する(ダディスはワッドを父と呼び慕っていた)。しかし程なくして20099月にその軍事政権による虐殺事件が起こり150人以上の一般市民が犠牲になった。結果としてワッドは面子を失い、「ライバル」であるコンパオレ・ブルキナ大統領が2010年ギニア大統領選の調停役の座をさらった。

それでも、旧宗主国フランスの機嫌をあまり損ねることなく、アメリカ、インド、中国、イラン、湾岸諸国などとの新しい外交関係を構築してくることができたのは、この「国家主権外交」の成功の証といえる。しかし、ノーベル平和賞をとりたいなどという行き過ぎた野望(ウィキリークスに流れたアメリカ外交官のコメント)が空回りすることは少なくない。ワッドは2011年、アフリカの国家元首として初めてリビアの反カダフィ政権への支持を表明し、ベンガジを訪問した。欧米に協調して反カダフィの姿勢を示すことによって、欧米から25%の得票で大統領に当選できるという憲法改正案への支持を得たかったのでは、とセネガル政界の関係者は邪推する。もしそれが本当ならば、とんだ計算違いだが

*この記事は以下の『Jeune Afrique』誌の記事を日本語で要約したものです。
PERDRIX Philippe. Président sans frontières. Jeune Afrique du 15 au 21 janvier 2012. p28-29.


セネガル 「ワッドは憲法を守ってこなかった」


Jeune Afrique誌によるインタビュー
ババカール・ゲイ教授 (Université Cheikh Anta Diop)

JA : 民主主義という観点からワッド政権の実績をどう見ますか。
ゲイ教授: 第一に、内閣の不安定さが目に付く。ワッド政権下では6人も首相がいた。ジウフ(前大統領)政権下では20年間で3人しかいなかったのに対してだ。その他の大臣も交代が激しい。任命されて数日後に更迭という例もあった。また、大臣の数が多すぎて非効率なばかりか各自の役割が不明確だった。最後に、本来ならば中立な人間が務めなければならない内務大臣、選挙政策などの役割にワッドは自分自身が介入してきた。

度重なる憲法改正は正当化できるのでしょうか。
過去8年間で17回の改正があった。つまり、半年に一回のペースだ。ジウフ、センゴール時代も憲法改正が頻繁にあったが、余りにもやりすぎだ。これらの改正の中には国家のためというよりは保身のためのものがある。たとえば、2008年に国民議会の議長の任期が5年から1年に縮められたのは当時のMacky Sall議長を追い出すために過ぎない。そして2001年に大統領の任期を7年から5年に縮めたにもかかわらず2008年に再度議論されたのは?2008年に副大統領のポストが作られたのにいまだに空席なのは?これらをどう説明できるのか。ワッドは憲法を尊重してこなかった。彼は制度を骨抜きにしてしまった。

ワッド大統領は国家と宗教界との関係も変えてしまったように思われます。
全くその通りで、大きな問題だ。2000年に選出されてから彼はトゥーバ(セネガルのイスラム教の一派Mourideの聖地)に赴き、カリフ(宗教指導者)にひざまずいている姿がメディアで報じられた。この映像は国家が宗教勢力の前に屈しているという否定的なイメージを与えた。ワッドは自身の信仰を大々的に明らかにし、キリスト教徒を脅した。これが宗教間の不和を招いた。

言論の自由に関しては、ワッドはとてもリベラルでした。新聞社はそれを謳歌しています。
確かにそのとおりで、新聞も、意見も自由だ。しかし、司法はまだ完全には独立しているとはいえない。


Interview by CARAYOL Rémi. Jeune Afrique du 15 au 21 janvier 2012. p27.

セネガル ワッド時代を振り返る Wade à l’heure des comptes


ワッド大統領の成し遂げた事業で20年後に残っているものは?アフリカ・ルネサンスの像だろうと野党は皮肉る。この像は、大事業を成し遂げ歴史に名を残したいというワッドの野望を体現しているものの、セネガル国民のためには何一つ役に立っていない事業だ。北朝鮮によって作られたこの像は、観光客からは無視され、「この国には他にやるべきことが山ほどあるのに」と地元の評判もすこぶる悪い。

それでもワッドは12年の任期の間にセネガルを大きく変えた。2000年から2010年の経済成長率はプラス4%で1990年代よりも高く、インフレは抑えられ、歳入は増えた。小中学校や保健所の数は目覚しく増え、水へのアクセス、乳幼児死亡率は改善した。中東・アジア諸国などドナーの多様化も進んだ。

コルニッシュ通りとそこに並ぶ高級ホテル、ドバイ資本の入ったダカール港、高速道路、新空港の建設。セネガルを西アフリカ地域のハブに仕立てあげたワッドの功績は、野党も認めざるを得ない。しかしながら、「アスファルトは食べられない」というのもまた事実。失業率は依然として高く、その日暮らしの人は多い。2000年の大統領選で、希望と職を求めていた当時の若者たちはワッドに投票したが、その後状況は改善されなかった。停電の頻発は彼らの怒りを増徴させ、かつてワッドを勝利に導いた「Sopi (変化)」というキャッチフレーズはもはや通用しなくなった。

30年間ワッドに付き添い、大臣を歴任したが今は反対派に回っているAminata Tall女史は「以前は対話を好み、支持者に耳を傾け、正義心の強い人物だったが、今では、人々の声を聞くどころか、操ることしか考えていない」とワッドを評価する。
大統領府では、おべっかや汚職は日常茶飯事となり、側近の一人は、「ワッドは何でも金で買えると思っている。セネガル人は金しか信用しないと思っているんだ」ともらす。ダカールはきらびやかなコルニッシュ通りの億万長者と、洪水にさらされその日暮らしを強いられる貧しい郊外の住民とに二分されてしまった。
息子に大統領の座を禅譲しようとしている動きも非難の的になっている。「ワッドは思い上がっていて、彼の事業を継続しうるのは彼自身か、でなければ息子しかいないと思っているのだ」と支持者の一人はため息を付く。

ある政治学者は、「ワッドはセンゴール(初代大統領)にコンプレックスを抱いている。彼のただひとつの目的は歴史に名を残すことだ」と分析し、「ワッドは自分自身がニエレレやマンデラなどアフリカの偉大な国家元首と同じ類だと思い込んでいる」と米国外交官は記している。昨年6月の憲法改正案に見られるように、なんとしてでも権力を手放したくないという姿勢はますます明らかになってきている。

ワッドへの批判は彼を止めるどころか、かえって勢いづけているようにも見える。もうすぐ86歳とは思えないエネルギーの「闘士」は、違憲と判断されても大統領選に出馬するのだろうか?「セネガルは決して内戦には陥らない」だろうと人々はいうが、そのリスクは否定はできない。Tall女史と同じくワッド政権下で大臣を務めたが今は反対派に回っているCheikh Tidiane Gadio氏は、「彼の立候補は国にとって危険。(立候補の是非を判断する)憲法院の判断がどちらに転んでも国が荒れる恐れがある」と警戒する。

ワッドが任期中に12年間積み上げてきた実績も数日で吹き飛んでしまう恐れがある。それもこれも1月末の憲法院の判断、そして226日の選挙の透明性にかかっている。

*この記事は以下の『Jeune Afrique』誌の記事を日本語で要約したものです。
CARAYOL Rémi. Sénégal : Wade à l’heure des comptes. Jeune Afrique du 15 au 21 janvier 2012. p24-27.

コートジボアール:ワタラ体制の内側 Côte d’Ivoire : Le Système ADO


アビジャンの大統領府では、その主だけでなく仕事のスタイルも変わった。もはや気まぐれで物事が決まることはない。几帳面なワタラ大統領は信頼の置ける部下に囲まれている。

バグボ時代とは打って変わり、ごった返していた大人数のスタッフは少数精鋭に取って代わられ、来客はアポがないと待合室に入れないようになった。全てが秩序正しくなったと言える。しかし「(政府が)完全に機能するようになるまでまだ5ヶ月くらいかかるだろう。それくらいこの国はめちゃめちゃで汚職まみれだった」とワタラ大統領は見ている。

ワタラ大統領のトゥレ官房長官(Sidi Toure)は、「大統領は部下に仕事を任せるのを好み、多くを求める。だが、絶対的に信頼できる部下でないとならない」と分析する。ワタラは非常な慎重さで部下を選び、ソロ首相(Guillaume Soro)をはじめ、バカヨコ内務大臣(Hamed Bakayoko)内務大臣、コフィ財務大臣(Charles Dibi Koffi)、アウス法務大臣(Jeannot Ahoussou)、デュンカン外務大臣(Daniel Kablan Duncan)、アチ・インフラ大臣(Patrick Achi)といった閣僚と密に連絡を取り合っている。

中でも重要な役割を占めるのが、通称「トロイカ」のメンバーだ。
まず、クリバリ書記長(Amadou Gon Coulibaly)53歳。ウフエボワニ政権下でワタラが首相になる前の1990年から彼をサポートしてきた。大統領の腕・目・耳として、内閣と地方政治、大統領府直轄機関、まだ法務を担当している。
次に、タノ官房長(Marcel Amon Tanoh)60歳。防衛、治安、外務、人権と官房組織(バグボ時代は300人近くいたというが、現在は20人程度)の管理を担当。
最後に、大統領の実弟ワタラ氏(Tene Birahima Ouattara )56歳。ワタラ大統領の「コピー」と呼ばれ、大統領府における財政・人事改革を実行して、ヤムスクロとアビジャン合わせて900人のスタッフを解雇し、月間5FCFAの節減を実現した。

ワタラ大統領は朝9時半に勤務を開始し、毎朝必ず憲兵・警察長官と治安情報のアップデートを行った後、トゥレ官房長官及び広報担当者と打ち合わせ。10時半にはトロイカのメンバーと打ち合わせを行い、11時半には記者会見をおこなう。昼食はだいたいの場合、会議を伴う。月曜はトロイカのメンバーと、火曜日はソロ首相と、木曜日は海外からの来賓といった具合だ。金曜日はRiviera地区の自宅で執務するようにしている。大統領官邸Cocody地区にあるが、政敵であるバグボ前大統領が住んでいたこの場所に移ることを拒否しているのだという。
いずれはヤムスクロに業務を移行する予定だが、あと2、3年は時間がかかるだろうと大統領は見ている。

*この記事は以下の『Jeune Afrique』誌の記事を日本語で要約したものです。
Marwane Ben Yahmed. Côte d’Ivoire : Le système ADO. Jeune Afrique 2661 (du 8 au 14 janvier 2012). p28-30.